テーマ「私の周囲の人々の愚痴を聞いています」
ただ聞くだけですが、そんなことでも役に立てばと思っています。
今日は、聞いた話から感じることを少しだけここで吐き出させてください。
◆目次
現場でも情報を「報道で知る」ことが多い
公務員・公立学校のお仕事は、「文書」で指示が来ます。その「文書」より「報道」が先行することが多いそうです。報道機関の記者が有能なのか、中央が現場を軽視しているのか…。例えばですが、学校の先生方も、3月の一斉休校は「報道」で知ったそうです。休校の報道が流れると、すぐに保護者から問い合わせがあったそうですが、答えようがなかったそうです。
同じことは「go to キャンペーン」でも起きています。
場当たり的な対応で指示が矛盾している
場当たり的な指示になっていて「矛盾」が多い。
また「報道先行」のため、お客様は「自分の理解、イメージ」で窓口に来るため「理解を修正する必要」が多く、説明に時間がかかる。
全体には、感情的な非難・攻撃を繰り返す人への対応がしんどい。
学校であれば、「対面授業を早く再開しろ、先生はサボるな、オンライン授業なら学費を返せ」「感染の危険があるので学校を休ませる、でも欠席にはするな」という保護者の要望への対応は現場。
新年度の大学入試、共通テストも同じ。
その本来の目的・意図に沿って、現在の高校3年生が高校入学時から準備してきたことと矛盾・否定になる指示が続く。
1960~70年代の学生運動を舞台にした小説に…
遠藤周作のある小説にこんなストーリーがありました。
地方の高校を卒業して警察官になり、機動隊員として都内の大学で行われている学生デモの現場に派遣される。
警察官なので、学生を大学構内から排除することが任務になる。心の中では「私も安保条約には反対だ」「今の政府はおかしい」「君たち学生と同じ気持ちなのだ」と思いつつも、デモの学生からは「権力の犬」と罵られ、投石や鉄パイプを浴びる。
そんな時、お金持ちで勉強もできた高校の友人と再会する。こちらは機動隊員、友人はその大学の学生。その時、「学生が倒れたぞ!」という叫び声が上がる(樺美智子さんのことがモデルですね)。
記憶は曖昧なのですが、そんなストーリーでした。
そういえば、小説の時代の首相は岸信介ですね。今の政権に血縁関係のある方がいますが。
傷つく人々
新型コロナによって社会課題が表面化していると言われています。
その現場で奮闘する人々がいます。公的な立場、公平の枠組みの中に身を置きつつ、困っている人に可能な限り寄り添う人々です。
しかし、経済活動は再開しましたが、企業・自営業のキャッシュフローはそろそろ限界かもしれません。1か月は内部留保で、1か月は銀行融資や公的支援で何とかできても、3か月目は営業収益が必要になってくると思います。このままだと9月以降、起きて欲しくないことが起きる可能性が高まります。
課題や矛盾を指摘することは大切です。
しかし、課題や矛盾を指摘することが「目的」になると、それによって「必要な支援が止まること」があります。課題や矛盾の指摘は人々を混乱させ、組織をかき回し、対応するための事務作業を増やすからです。それは、現場で支援する人、支援が必要な人、両方にとって不幸です。
必要なのは、課題解決のチーム作り、前例にとらわれない自由と創造的な発想、支援を止めないためのビジョンだと思います。ただ、そうやって動いた人は、すべてが終わってから「前例に基づいた処分」が待っている可能性があります。世間から「権力の犬」と言われ、内部では支援したことが処分対象になるのです。
「コロナが落ち着いたら退職しよう」と心ひそかに思っている人は少なくありません。私にできることは、自粛と寄付と愚痴を聞くことだけですが、少しずつと思います。