公務員時代に教育の部署にいまして、学校の先生と知り合うことができました。
今日は、ちょっとそんな話題で。
◆「論点」子供たちの読解力は本当に落ちているのか?
AIで東大に合格しようというプロジェクトがあって、結論から言えば、早稲田あたりならうかる(選択肢問題は80%くらいとれる)が、東大は難しいという結果になりました。センター試験(選択肢)は取れますが、二次(記述)が取れないということらしいです。
この時、AIで早稲田が受かるってことは、生身の高校の多くはAIに劣るということも言われまして…、これに「今時の若者は×ネットの弊害×読書量の減少」が重なって、読解力の低下が声高に言われました。
個人的には、あんまり納得できなかったです(笑)
確かに、試験の点数では下位層が目立つ傾向はありましたが。
◆読解力がないと言われる人の傾向
思い込み・先入観による誤解が、文章や説明の理解を妨げている例が多いです。
たとえば、クレームの多くは、「勘違い・誤解・思い込み」「その人の価値観とのズレ」が大きくなったものです。これがはじまりなんですね。
一言で言えば、「前提」が共有されていないんです。
まぁ、「思い込み×説明を最後まで聞いていない×文章を最後まで読んでいないという点も読解力」とするなら、読解力の低下と言えるんですけどね。
◆思い込みに共通する傾向
「○○なら何でもできる」「自分にできないことは○○ができるはず」ということ。
また、ある意味で正義感が強く、「不正やミスを絶対に許せないという感情が強い」んですね。
つまり、先生・警察・医師・弁護士・高学歴な人は「万能であるべき」という価値観があって、その人が「できない」「不正をする」ということを受け容れられないんです。ここに「最後まで聞かない×読まない」が重なると、表面的な事実を切り取っただけで理解×思考が止まります。そして激しい感情が沸き起こるというストーリーではないかという仮説を持っています。
◆もし「読解力の低下」という事実が本当ならば…
それは、子供たちに限定したものではないでしょう(笑)。
大人の世界、週刊誌的話題、ワイドショー、ネット上の言説にもかなりの読解力低下を感じます(笑)。
よく多様性と言われますが、それは「前提の多様化」と言えます。
昭和世代は、学生時代に「太宰治はしか」「三島由紀夫中毒」「大江健三郎信者」「安部公房沼」などの共通体験を持っています。ドリフ・ひょうきん族、キャンディーズ・ピンクレディー、松田聖子・中森明菜、金八先生・月9などの共通性の高い体験もあります。つまり「前提の共通性」が高いんですね。
そういう世代が今の若い人を見ると「太宰を知らない」「三島を読んでいない」というだけで信じられないでしょうし、未だに金八先生を理想の教師像としている人も少なくないですし、携帯のない時代の恋愛(東京ラブストーリー)で価値観が止まっている人もいます。それが、最近の若者は文章が読めない、先生はダメだ、子供に携帯は持たせない…となるのではないでしょうか。
◆相互理解に必要なのは言葉だけではない
コミュニケーションには「非言語領域」があります。
ちょっとしたしぐさや文化的な理解などですね。アメリカ人にプレゼントを贈る時、「つまらないものですが」と言って渡すと人間関係崩壊します(笑)。
謙遜は日本文化では美徳ですが、日本文化を知らない人は困惑するでしょう。謙虚の文化的共通性は高いですが、謙遜の共通性は低いです。
同様に、世代を超えた前提の共通性も低くなっていると言えます。多様性のデメリットと言えますね。しかし、太宰や三島は読んでいなくても、本は読んでいます。音楽・映画・ドラマ・お笑いなどの視聴量は、レコーダー・ネットの活用によって、昔々より多いと感じます。ただ、昭和のように家族でテレビで見るのではなく、個人のデバイスで視聴し、ネット上で感想を共有します。
従って、「世代」というくくりで体験・感想を共有することが難しいですね。
この「前提の共有の不全・非言語領域の理解不足」を、「読解力の低下」とするのは、あっていますが、間違っているとも思います。太宰は知らなくても、読書量は増えているのですから。
◆読解力やコミュニケーション能力の評価には
多様性の時代ですから、一つのものさしで判定・評価・結果を下すのは適切ではないと思います。
それぞれの時代・世代・地域で前提となる価値観が異なります。
その差異は、古い時代・上の世代・都会をものさしとした評価になりやすいです。
しかし、若い世代には、若い世代に共有された価値観があり、その前提で暮らしと仕事とをしています。それは、昭和世代が「過去を根拠としたコピー思考」が強いのに対し、若い世代は「未来を根拠としたクリエイト思考」が高いです。これも前提が異なる部分ですね。
共通テスト=選択肢問題は、問題文を根拠としたコピー思考です。正確に読み取るのも読解力ですから。
しかし、AIが果たせなかった東大記述や慶應小論文には、未来を根拠としたクリエイト思考も必要です。これも読解力です。この部分を評価することなく「今時の…」と言うのはどうか…と思う場面が少なくありません。
◆変化・進歩・未来創造を阻むものは過去を根拠とした思い込みではないか
という仮説です。
世代を超えた前提を共有していない高校生にとって、過去をコピーするだけの勉強だけで評価されれば、読解力がないという結論になるのはやむを得ません。
ただ、それだけが読解力ではない…ということです。
学習支援の方から、総合型選抜(以前のAO入試、推薦入試)の相談も入り始めました。総合型選抜は、未来を根拠とした創造性が評価されます。相談内容は「こんな読解力・日本語力で小論文なんか書けないはずだ」という大人・本人の思い込みが強い高校生からのもの。つまり、過去を根拠としたコピー能力が弱いんだけど…という人。
先入観なしで見ると、その高校生の読解力・思考力・文章力に問題はありません。
むしろ、過去を知らない・前提としない・思い込みがない分、思考の広がり・創造性が高かったりします。つまり「総合型選抜に向いている」んです(笑)
「抑圧」ってこういうことなんだな…と思う今日この頃。
大学3年生の私も、自分で自分にかけてきたセルフ抑圧に気付く日々です。