55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

学校の先生への評価

 

地方公務員の初任給は…

 公立学校の先生は「地方公務員」です。

 今調べてみると、その初任給は18万円前後のようです。

 18万円には、福利厚生も含まれますが、ここから税金・年金・保険が天引きされ、職場の親睦会費なども引かれます。実質手取りは15~16万円になりますね。

 ご存じのとおり、学校の先生には残業手当がないのでこれで決まりです。

 

私の今月のお仕事は

 高校の授業教材の執筆です。

 と言っても、0から作るわけではありません。仕様書や会社が作ったフォーマットがありますから、それに沿って作成しています。

 少し下世話な話になりますが、一本あたりの単価は〇万円。これを〇本いただいています。合計すると、現役の高校の先生の初任給に近いんですね。

 学校の先生は、毎日10時間以上学校にいて、この連休中も「部活動の試合×練習」で生徒引率だと思います。

 私は、朝起きてコーヒーを淹れてから、原稿を書き、昼寝をしてから午前中に書いた原稿の推敲・校正をして、夜は読書、もしくは大学の授業課題に取り組んでいます。この大学の授業課題が、お仕事の内容とリンクするので、いろいろ楽しいです。

 この二人が、同じ収入でいいのでしょうか??

 

知的労働に対する評価はこれでいいのかという素朴な疑問

 例えばですが、私の高校・大学時代は「予備校文化華やかかりし時代」でして、代ゼミ河合塾などのトップ講師の年収は「2億円」と言われました。

 三冠王の落合がやっと「年棒1億円」を勝ち取ったころです。三冠王3度の落合よりも予備校講師の方が金銭的評価が高く、スポーツより勉強の方がお金になったんです。

 しかし、国は教育予算を削り続け、国立大学の研究費は競争原理で上下するようになりました。その結果、重要性の高さに対し成果が見えにくい「基礎研究」が衰退し、日本の国力も低下していきます。一方で、結果が明確な野球の世界の年棒は上昇します。

 

学校の外で教育の金銭評価はどうなっているか

 お子様が公立学校に通っている方ならば、学校の授業料より塾代の方がかかっていると思います。

 学校の先生が日常的に作成している授業教材や試験問題などの作成は給与に含まれています。しかし、これを学校の外の人間が作ると1本〇万円の単価がつきます。つまり、学校の先生のお仕事は、学校外に出せばそれくらいの金銭的価値があることなのです。となると、問題が見えてきます。

①学校の先生に、「授業×知的労働」以外のことを求めすぎではないか?

 ・特に義務教育が、社会の格安インフラ・コンビニと化している。

②その結果、「授業×知的労働」「学校×先生の本質」が塾に移行していないか?

 ・塾に学力向上が移行すれば、経済格差=学力格差になる。

③「授業×知的労働」に秀でた先生は、公立から私立に転職する

 ・自分の能力が正当に評価される職場で働きたいというのは正当な思考です。

④教育に関心のある若者は、「授業×知的労働」が評価される職場に就職する

 ・教員志望の学生は、学校以外の場所でも教育の仕事があることを知っています。

 

とても複雑な心境です

 私が作っている教材も、本来ならば学校の先生が作ればよいものですし、実際に作っている先生を知っています。しかし、今現場の先生に、学習理論を学び、新しい教材を作る余裕がないんですね。そのおかげで私の仕事があるんですけど…。

 もちろん、私が書いた原稿が現場の先生方や生徒さんの役に立つならうれしいのです。しかし、それは現場の先生が「授業×知的労働」に専念できないから、それ以外に求められることが多いからなんですね。

 私自身も、現役時代に学んだスキルや学習理論が今になって評価され、お金になるのはとてもうれしいです。しかし、「公務員時代×民間時代」にもう少し評価されていれば早期退職しなかったかも…とも思います(笑)。

 

経済格差を教育格差にしないためには

 学校の役割、先生の待遇を見直す必要があるというのは、教育行政担当時代からの私の主張なのですが、まぁ、鼻で笑われました。

 私も含まれているのですが、学校教育に「民間企業が参入」することが増えてきました。それに対する批判もあります(わかります)。

 でも、それは、日本の公教育(小学校~大学まで)の規模では、授業や入試ができなくなったということなんですね。大学入試で記述を導入しようとしたことがありました。問題は受験者50万人の採点をどうするかでした(それで没になりました)。

 結局、公教育で採点者を賄うことができないんですね。それは、教育予算と教員を決して増やそうとしなかった過去のツケです。で、この規模の採点実績があるのは、全国模試を実施しているベネッセや代ゼミなどの教育産業になります。そういう一面もあるんです。

 

 ちなみに、共通テストの実施・運営は文科省ではないんです。

 大学入試センターという別法人が行っています。その予算は、受験生が支払うセンターテスト受験料です。国家と国民との未来を決める大学入試に、国・政府は関与していないんです。それが、今の大人がつくった日本の現実。

 そのおかげで、早期退職しても「学習支援×原稿執筆」という役割をいただいています。せめてもの罪滅ぼし、救えなかった先生への贖罪です。