食べたいですが外食自粛中につき写真のみで…
今日・明日締め切りの原稿があります。
昨晩完成したので、この後最終チェックをして提出。
年内〆切の原稿はこれで終わりで、手元にあるのでは年越し案件が2件。これからデータが来る案件が2件。
今日明日は、つかの間のオフとしたいと思います。
「心配と理想とは呪いの言葉」という言葉がありまして、心がけるようにしています。
これは…教育系の部署に始めて入って、でも教育のことなんてわかりません。そこで、勤務地にあった大学の教育学部に聴講で通ったんです。科目としては教育心理ですが、教授の専門は不登校とか家族の問題とかでした。
今は「教育虐待」って言葉が一般化しつつありますが、平たく言うと「過干渉」ですね。
心配ってのは親の不安を子供に押し付けているだけになるケースがあります。
心配してくれているってのが愛情として伝わるならいいのですが、子供の自立を阻害するようになると親のエゴになります。
これは理想も同じ。星一徹が息子にやったことは「教育虐待」ですよね。
というわけで、親の心配・理想は、子供にとって「呪いの言葉」になるという考え。
呪いにかかった子供は…ということです。
この構造は、いわゆる「町おこし」にも存在します。
人口減少・過疎に悩む町が、その対策に立ち上がる。その時、町の有力者や長老と言われる人が「地域代表」とした参加することが多いです。
そういう人たちは「繁栄した時代・栄光の時代」を知っています。それを根拠とすると、現状が心配で不安で仕方がないんですね。そして、過去の栄光の再現を理想として意見を述べ始めます。すると会議は迷走します。
長老の心配・理想が呪いの言葉となって、新しい町づくりを阻害するんですね。
結果、税収減と人口流出とが加速する。
一方で、婚活とかハコモノなどの公金ビジネスが跋扈する。
心配と理想とは、人との距離感を狂わせるんですね。
それは、家族とであっても、他者とであっても、地域であっても。
私は、おそらく心配性ですし、理想を追い求めることがすばらしいという教育を受けてきた世代でもあります。呪いにかかりやすいんですね。
このことを30代で知って、娘に対する接し方がだいぶ変わりました。
ただ、お仕事では「不安や心配を抱える人、理想強めな人」から絡まれることが増えました。「距離を置くと距離を詰められるという逆説」ですね。
移住先に「知っている人が誰もいない場所」を選んだのは、呪いからの逃避だったのかもしれません。
というわけで、老後に理想を求めない・心配し過ぎないを心がけつつ今年を締め括ろうかと思う今日このごろ。
新年の準備は、理想と心配を横に置くことからと思います。