学習支援に参加しています。
小論文などのお手伝いをしているので、高校生と対話する機会が多くあります。
高校生から学ぶことは多いですね。
で、少し「受験勉強」についてまとめておこうと思います。
昭和~平成の大学受験は「知識重視」。
「学力」とは「正解に対して早く到達すること」。
令和の大学受験は「知識×思考」。
「学力」とは「知識を結びつけて、正解をつくること」。
別な表現で言えばこういう感じ
昔は「大学受験」「就職試験」に合格することと、「大学で学ぶこと」「社会で働くこと」は、そこそこ一致していました。
やがて、受験対策は洗練され「合格への最短距離」が形成されるようになりました。
一方で、学問の進化は「必要な知識を増やしました」し、社会の複雑化は「一問一答形式の思考力では対応できない」ようになりました。
つまり、受験勉強は「最短距離」が作られましたが、大学や社会では「広大な知識と思考の世界」が求められるようになったのです。
こうして、高校受験・大学受験・就職試験を優秀な成績で突破しても、「学問の世界や社会では通用しない、適応できない」という状況が出来たのですね・・・。
つまり「入試学力」と「学問・社会人に必要な学力」とが一致しなくなったのです。
これを理解している公立・私立のトップ校では、最短距離的な受験指導をしません。
本格的な「学問」のやり方で授業に取り組みます。
これは「予備校」でも同じ。「受験の技術」ではなく「学問の技術」を伝える。
「地域課題」を題材にした「課題解決思考」を学ぶ授業も、同じ発想。
つまり、入試で合格する「学力」と、大学で学ぶ「学力」とが、「同じ学力」になるようにしている途中なのです。
となると…
「最短距離」という発想では、受験はうまくいかない可能性が高いんですね。
「文系・理系」という枠組みを取り払い、いろいろな教科の知識と発想とを結びつけて仮説を形成する思考力がとても重要。
個々の競技の記録は平凡でも「陸上の十種競技」になるとトップ5に入る…という人材が求められつつあるというか、理想とされつつあるんですね。
だから、合理性という言葉で「無駄のない勉強をしたい」「余分なことはしたくない」を正当化する思考は危険。それは「昭和・平成の価値観」。
できなくても良いので「知っておくこと」が大切。
例えば、苦手な数学でも「統計とゲーム理論」が理解できる程度までは進めておく。
そうでないと「小論文」が書けないってことなんです(笑)
ということを高校1~2年生にお話しました。
先生方からは、好評だったようです。
そんな今日この頃です。