◆心に刺さった言葉
「~許さないでいいよ。っていうか、許そうとしてしたらあかんよ。
あんたが壊れるよ」
読書で泣くことはあまりないのです…。
50年以上生きていれば、いろんなことがあるわけで、ただどんな時も、「許さないといけない」と思っていました。許せないなら、「忘れる」「関わらない」「思い出さない」など、「封印の儀式」が必要で、そのように行動しようとしていました。
さもなくば、その人にも何か事情があって、そういう言動をせざるを得ない心理状況がって、それを理解し、受け止めるのも「公務員の役割」という意識もありました。
「言われやすい」「なめられやすい」「困ったらあいつに」という私の資質(笑)もあって、いろいろなことがありました。もちろん、それは私の人格的・能力的未熟が招いたものということは前提として自覚しています。
◆少し翻訳すると
許さなくてもいいんですね。
というか、許すことで自分が壊れてしまうなら、許さない方がよい。
もちろん、許さないという感情から暴力的な実力行使に進むのではありません。許せないこと、許せない人に対しても、人としての礼儀や社会的なつながりは維持しつつ接し、行動することになります。でも、感情としては、許さなくてもいい。
つまり、対人技術としての礼儀・コミュニケーション・笑顔を駆使して心を守る。
◆もう少し掘り下げると
世の中には、私のことを許せない人もいるはずです。確実に、間違いなく。
その方に、許しを求めることは、相手の心を壊すかもしれません。
つまり、私は許されないまま一生を終えるわけですが、その方が…ということ。
いろいろ考えました。
◆許さないという選択肢
許さないという感情は、攻撃的でネガティブなものです。
しかし、許さないことが許される場面もある…。そのことで、私の中にあるいろいろが少し軽くなる。軽くなるというか、抑圧だったものから別なものになるという感じです。
多分、許そうという感情が抑圧になるんですね。それは、許すという感情が身体も心も思考も支配してしまうからかもしれません。一晩経って、許すという感情に支配されていたものを、少し切り離せたような気がします。
明日の夕方からお仕事再開です。それまで、心の整理をと思います。