◆まもなく、東日本大震災から12年
この12年に、東北で被災~東京・沖縄転勤~転職~早期退職~信州移住と、まぁ、人生でもかなり濃い期間となりました。
被災した時は、これで一生東北で暮らすことになったな…というか、ここで生涯を復興に費やすことになるな…という思いがありました。
ところが異動・転勤です。
この時、東北には戻らないような気がして、マンションを手放しました。
早期退職して移住を考えた時、福島にいい物件がありましたが、タッチの差で逃しました。その後、自分自身をよく振り返ってみました。
出た結論は、「もう一度、同じ規模の震災を体験すると、私の心は持たない…」ということでした。この視点から移住先を考え直したのです。とは言え、国内で「安全」な場所は…です。どこに住んでも災害リスクはある。
そんな中で、松本と出会って、今に至ります。
◆東北から離れて…
福島で被災した方のお話を伺いました。
共通するのは、「現地の人が最も情報が少ない」です。そもそも電気・電波がないですからね。内容の信憑性はわかりませんが、原発がどういう状況だったかは、海外の方が詳しい、英語情報の方が早いということもありました。
状況の深刻性を認識するのは、当事者が最も遅かったというオチですね。
また、被災状況は個々に異なります。抱えていることも違います。
そうなると、逆に「震災について話題にすることがタブー化」します。すると、みんな個人で抱え込んでしまうのですね。そして、抑圧になります。
そして、今、私は東北から離れた場所にいます。
要するに、抑圧から解放されたかったようです。私にとって震災は、タブーとして避けるのではなく、人生の宿題として掘り下げて考えないと逆に心身が持たないもののようです。そのためには、「抑圧から解放される=現地から距離を置くという逆説」が必要だったということです。
あまり一般的な話ではないですが、私はそういうタイプのようです。
(逃げたと言われればそれまでですが)
◆時間が経ってわかってくることがある
被災体験は個々に異なります。つまり、俗にいう「語り部活動」は、個人の主観の場とも言えます。そこに学びがあるのですが、そこに反感を持つ人もいます。また、パブリックな震災のイメージには、「悲劇と感動」があって、そういうものを求める人もいます。
そうではなく、たとえば「防災」という学問の枠組みの中で客観化し、より多くの人に受け容れてもらうもの、普遍化したものにすることも必要です。
福島には、それを可能にする力があって、それは原子力災害ですから、そこを科学的に掘り下げていくこと、事実を明らかにすることから「課題」を引き出すことが可能と考えています。
時間が経って、科学も進歩しています。科学による解決も導けると…と思います。
◆あくまで個人としての…
と、大きなことを言いましたが、私はすでに社会人を引退しています。
何ができるわけでもありません。ただ、私自身の宿題の一つとして考え続けるだけです。でも、「仕事×公務員」という抑圧から解放されている今、そういう立場だから見えてくること、考えられることもあるようです。
個人として、これからも考え、関わっていければと思います。
あくまでも、自分のためということに過ぎません。とは言え、早期退職したわけですから、自分のためという自由の中で、自由に考え続けたいと思います。
とか言っても、得意のなのは、考えることより「食べて支援」なのですけどね。
あんこう鍋、おいしいのですよ。は福島