◆今思えば、人生の転機だったこと
干されたことですかね(笑)
私は鈍感ですし、出世的価値観に無知でしたので、干されたとは思っていなかったのですが、周囲からはいろいろ言われました(笑)。
「転勤」「プロジェクト業務」「医療・福祉・教育」って、出世コースではないそうで(笑)、でも、面白かった…というか、自分の専門性を活かしたり、学んだりができたのはそれぞれの経験のおかげ。
ずっと東京でルーティンワークだったら(まぁ、就職・転職当時はお仕事ってそういうものというイメージでしたが)と考えると、もっと早く早期退職したかもしれないですね(笑)
◆東京にいたらわからなかったことがたくさん
たとえば、戦後、日本の人口は増えていきましたが、実は「団塊の世代」の誕生以降、日本海側の自治体の多くは、人口流出が続いているのです。それに対して有効な政策は立てられていないんですね。
にもかかわらず、人口が増えている東京のコピー(ハコモノ)と、中央からの補助金交付(バラマキ)、そして統廃合(市町村合併、学校や病院などの統廃合)という三題噺。
東京でルーティンワークであれば、これらを淡々と実行するのみでしたね。
◆東京のコピーではなく
その土地にはその土地の歴史や資源があるわけで、それは有効活用した方がいいと思うんですね。でも、東京から来た人間がそれを行うのはいろいろ難しいこともありました。その原因を考えると、結局は「結論ありき」「東京からのミッションありき」「東京コンプレックス」ではないかと思いました。
そこで、勉強を初めて、仕事のやり方を替えました。いわゆる「プロジェクト方式」です。この段階で、ルーティンワークから離れました。干されですね(笑)。
任期中に「結果と実績」とを出すこともやめました。
地方の問題を解決するのは、地元の人という組織にと思いました。
◆ちょっとズレた立場から物事を見るようになって
それはそれで苦労もありましたが、楽にはなったと思います。
大きいのは思考の変化ですね。「目標からの減点法」から、「0からの加点法」に変わりました。
まぁ、公務員の世界・人事評価の世界ってのは、とにかく(無駄に高い)理想を求められます。○○であるべき、公務員のくせにってヤツも同じ。その価値観から外れると減点なんですね。しかも、そういう環境にいると、自分がそういう価値観で思考していることに気付かないんですね。
私の知っている東京って、加点法の世界だったんですけど(笑)、いつも間にか減点法になっていました。特に、地方と東京とを往復する間にそれが強くなっていったような気がします。
それだけでなく、地方の現場が「減点法」にもなっていました。私が東京から赴任するとそこで感じた敵意は「減点法的思考・評価」に対するものだったかもしれませんね。そういう意味でも、東京的減点法を地方に持ち込まないことも意識していました。
ただ、それは私自身の人事評価が下がる危険性をはらんでいるんですけどね。
でも、加点法で楽しく、創造的に、視野を広げて仕事する方を選びました。
ご隠居になるって、加点法的価値観になることですよね。
光源氏って人も、減点法で評価するととんでもない人ですが、加点法で見直せば人間的な弱さにあふれたとても魅力的な人です。
というわけで、松本生活2年目に入り、信州生活を満喫できるのは「加点法」ってことかもしれません。この価値観、大事にしたいと思います。