◆情か理か
一般論では、「東京=理」vs「大阪=情」というイメージがありますね。
東京には、「良い意味で他者に干渉しない」という感覚があります。
個人的な経験ですが、「父の転勤×自分の転勤」で「学生時代×公務員時代」をしばらく関西で過ごしました。瀬戸内の美しさ、京都巡り、源氏物語や平家物語などの舞台を散歩してその魅力にとりつかれたのはこの頃です。
しかし、人間関係はあんまりうまくいかないことが多かったです。冷たいって言われるんですね。
◆東京で暮らす人って
江戸の昔から現在まで、東京は「人口増加」が続いてきました。東京以外の土地で生まれ育った人が、「江戸・東京」に移住してくるってことです。
移住には「封建的価値観」の名残があります。
「家」は長男が継ぎます。従って、次男以降は「住まい」「お仕事」「伴侶」を自力で何とかしなければならない。知人を頼って丁稚奉公するなら「大阪」に行く。そういう伝手がないなら「東京」に行って何とかする。つまり、東京には「家の制度で存在を否定された次男以降」「知り合いがいない人」が集まるんですね。
◆東京の暮らし
知らない者同士が集まって暮らします。出身地によって、言葉も食べ物も習慣も価値観も違います。最初はそれに驚きますが、慣れれば心地よくなります。無理に東京に合わせないといけないわけではない。訛っていてもいいし、郷土料理を食べていてもいい。東京生まれの人間って「そういう地方の文化、東京にない文化」に憧れがあるんです。
ですから、異なる価値観を「排除」するよりも、「取り入れよう」とする感覚の方が大きいです。ただ、異なる価値観を持つ者同士が一緒に生活・仕事をするにあたっては、「理」つまりルールが必要です。つまり「理が公共」なんですね。ですから、値札についた正価で売買する。それが「公共=公平」なんです。
ただ、知らない者同士でも、東京にいるってことは「家から排除された次男以降」という共通点があります。これが「情」になります。
◆大阪の暮らし
「値切るのもコミュニケーション」と言います。これが大阪的な感覚。
誰かを頼って大阪に来ていますから、恩返しの気持ちがとても大切。
つまり、大阪では「情が公共」となります。「この人と一緒に商売したい、助けてあげたい、売りたい」という気持ちが先で、値段はあと。儲けは知らん人との商売で稼いで、知り合いには儲け度外視で奉仕するというのは言い過ぎかもしれませんが(笑)
◆公務員は「理」で動きます
ちなみに、公務員が「情」で動くと犯罪です(笑)
理で動くと罵声を浴びる、情で動くと犯罪になる。夏目漱石の小説の冒頭みたいですが、これがとてもストレスでした。
たとえば、議員さんも「本物」は、情を理解しつつも「理」で判断できる人でした。
一方で、「情」のために、理を曲げろという人も少なくありません。
学校教育、人口減少、国際協調、経済問題、感染症対策などなど、たくさんの課題がありますが、もう少し「理」を大切にした方がと思うこともしばしば。私の周囲では、「理」を大切にする人が降格させられたり、早期退職したがっています。