
山形の蕎麦
昨日は散歩ついでにもう一度四柱神社に寄り、招福おみくじをひいてみました。
200円、なんと「大吉」。朝日が昇るような運勢だそうです。
招福グッズは熊手。おみくじには小さな熊手が入っていて、これを財布に忍ばせました。いいことがあると…です。
松本に移住してから、電子マネーを使い始めました。元々クレジット決済×Suica生活で現金を扱うことは少なかったです。で、電子マネーを使い始めるとまあ便利。
ふと思ったのですが、子供の頃から「電子マネー生活」になると金銭感覚どうなりますかね…。私の世代は、たとえば「黒電話~留守番電話~PHS~携帯~スマホ」という段階を経て今があります。PCもMS-DOSから。マルチプランが画期的で「一太郎×Lotus」が標準装備になった頃、深夜のかけ放題プランでパソコン通信×メールを覚え、MicrosoftとGoogleの奴隷になって現在に至ります。
今は、自宅の黒電話と公衆電話がなくなりつつあります。そうなると、子供もスマホを持つしかないわけで、マナーとかリテラシーとかを「自然におぼえる×段階を経て身に付ける」ということが難しい。スマホとかネットのルールというのは何となくありますが、悪用されていることに気づかないこと、悪用していることに気づかない人も少ないない。「悪用していることに対する反論が難しい状況」も存在します。
これは、民主主義とか自由とかも同じ。
たとえば、表現の自由は「公共性の維持・みんなの幸せの実現・真実の追究」のためにあるもの。
一方で、自分の言いたいことを正当化するために「表現の自由だ」と主張する人もあいます(個人的にはクレーマーと定義しています)。
たとえば、公務員のことをボロクソに言うならば、公務員がボロクソにダメであることの客観的・具体的事実を述べ、それを根拠として述べて欲しいのです。しかし、多くはボロクソに言ったこと、人格攻撃をしたことを正当化する根拠として「表現の自由」を使うのです。これは違います。しかし、そのことに気づいていない人が多い。
自由とかも同じ。他人の自由を阻害する一方で自分の言動だけを正当化するために「自由」という言葉を使う人は少なくありません。それは「公共性のない発想」なわけで、自由の悪用・誤用なんですね。
ヨーロッパは、中世から近代への以降に数百年かかっています。宗教改革・市民革命・産業革命を経てもまだ「公共性」についての議論は続いているわけで、そういう段階を経験せず「民主主義、自由、資本主義、公平」を知ってしまうと、そこに内在する「二面性・公共性」の理解をすっ飛ばして「自分の利益の追求」に走るんですね。
なかなか難しいですね。これからは、日本人同士でも「異文化理解」が必要。
「異文化理解」には、他者への敬意・尊重の意識が必要。
敬意・尊重は近代の言葉で言うと「人権」になります。
ただ、逆の側面もあって、オールド世代にとって「スマホは最終地点」ですが、若い世代にとって「スマホは出発点」です。つまり若い世代には新しい価値観を創造する可能性があるということ。ここで「スマホや自由を悪用して公共性を破壊する人」「スマホや自由を出発点として未来を創造する人」という知的格差が生まれるような気がします。
そういう世の中を観察しつつ余生を過ごそうと思う今日この頃です。