今日は、広島で人類史上に残る惨事が起きた日ですね。
両親やその兄弟には、神戸大空襲(ホタルの墓)で逃げ惑った方や、被爆直後の広島に所属していた師団で入り、終戦後に白血病と思われる症状で亡くなった方などがいます。
中学・高校時代の先生には、中国戦線に参加した方や学徒出陣(明治神宮の行進に映っていました)した方、陸軍内務班で壮絶な体験をされた方がいて、就職した企業にはシベリア抑留から帰還された方、満州から朝鮮半島を縦断して帰国したとか…そういう人がまだいました。
また、昭和50年ころまでは、渋谷に傷痍軍人と思われる身体の一部が欠けた方がいて、なぜそういうことになったのか簡潔に記した看板を立てて物乞いをしていました。
沖縄勤務時代、ある高校生が「内地の高校生は沖縄戦のことをどれくらい知っているのか、理解しているのかということを不安に感じている」と言っていました。
そのきっかけは、広島・長崎の現場投下をテーマとした学習会の時です。沖縄では郷土史として沖縄戦のことを学びます、体験された方をゲストに招くこともあります。その分、原爆投下についてはあまりよく知らないということでした(沖縄で原爆投下のことを教えないという訳ではないです、念のため)。
もし、大学入試の小論文などで原爆投下をテーマとした出題があると不利ですね。
(逆に言えば、沖縄戦・沖縄問題が出題されれば有利ですが)
原爆投下のことを詳しくは知らない沖縄の高校生が、沖縄戦の知識をふまえてその理解を進め、二つのできごとを比較し共通点を探しながら学びを進めたこと、あの時の沖縄の高校生の言葉…忘れられない経験でした。
善悪とか責任の追及とかそういう二元論ではなく、二元論をこえ、これからどうするべきか、どうあるべきかを考えることができるのは、利害関係に閉じ込められた大人ではなく、中学生・高校生なんだなと実感したできごとでした。
というわけで仕事に戻ります。