私立の共学校で育ちました。
ただ…共学なのですが、男女比は女子の方が多かったです。それで野球部甲子園行くというなかなか珍しい高校でした。
公務員に転職すると、男子校・女子校出身の方が多かったです。別学:共学比率で別学の方が多いことも。都内の高偏差値進学校には別学が多いです。地方でもトップ進学校は別学という地域がありますね。
公立の場合、トップ進学校は別学と言っても、たとえば旧帝大・医学部などの難関大学・難関学部への合格者・進学者は「男子校」の方が多いという現実がありました。
これは、男子の方が優秀とか、女子は…という問題ではないと個人的に思っています。
トップ進学校が「別学」という地域は、同時に「伝統的・保守的」でもあるという逆説があります。つまり、女性が東大を目指そうとすると何らかのバイアスがかかりやすい…のですね。ご本人が自虐的に「東大に行くと結婚が遅くなると言われて、実際に東大に進学すると本当にそうだった」と語る場面に遭遇したことは少なくないです。
東大に行く力があっても、自宅から通える旧帝大とか、女子大ならよいと言われてお茶の水女子大とか…、そういうバイアスの積み重ねで「女子高は2番手」なのではないかというのが個人的な感想です。
ただ、別学のよいところは、別学の方が「男子の文学部進学者」「女子の理工学部進学者」が多いこと。そういう点ではバイアスから解放されているという逆説がここにもあります。
公立のトップ進学校が別学という地域で勤務して気づいたことがあります。
昭和50年代にも別学が課題になった時代があったのですね。
人口が少ないエリアだと、「別学のトップ進学校」の一つ下に位置する「共学校」だと、国公立に進む数が一桁になる、あるいは大学進学希望者が半分くらいという状況もありました。
つまり、「大学に行きたいと思ったら、高校は別学しかない」という状況があったのですね。しかも、入学すると4月は毎朝7:30に登校し「応援団による応援練習」という洗礼を受けることになる。それについていけないと、その学校では生きていけないというなかなかな状況です。
そんなわけで、まだ人口が増えていた昭和50年代、そういう地域では「共学の進学校」が新設されました。大学に進みたいが別学は嫌という生徒さんへの選択肢を作ったのです。そこでは、たとえば別学の学校が私服なら、新設の共学校は制服(逆もある)などの方向性も定められました。バンカラに対しスマートな校風を意図的に作ったと思われます。
問題は、人口減・少子化です。
学区内の高校の倍率が1倍ギリギリから定員割れになります。
そうなると、昭和50年代に作った新設の共学校がお荷物化するんですね。人気はあるし進学率も良いのですが、作った時8クラスだった規模が4クラス以下になるとか…。
規模は小さくなっても人気があるので、別学のトップ校が定員割れするとか…。
そうなると、別学のトップ校を共学の1つの高校に統合しよう、共学にするなら新設の共学校も統合しようとなります。3つの高校が1つになるんですね。
あるいは、男子校・女子校をそれぞれ共学にして、共学の進学校をなくす。
私立が別学→共学にするのは、単純に「マーケットが2倍になる」でもあります。
埼玉で共学論争が始まったようです。
都会の場合、選択肢として「男子校・女子校・共学」があってもいいのではと個人的に思います。ただ、埼玉でもいずれ人口減少が進みます。そうすれば地方で進んでいる「高校の統廃合」が都心部の高校にも必要になります。その際「別学という選択肢を維持できない可能性」が生じます。
個人的には「別学が物理的に維持できなくなるまでは、別学のままでよい」と考えています。ただ、そうなった時どうするかの検討は進めておくこと…ですね。
ちなみに、ここ数年の出生数は70万人台ですから、どんなに遅くても15年後には公立高における別学の維持は難しいでしょう。
また、私立の名門男子校・女子校が経営的に別学を維持できるか…と言う問題もあります。たとえば、開成中高が共学に…とかですね。そうなると、公立に別学校を残すという逆説もありえます。
共学論争は、観念的・感情的なものではなく、人口減少という現実に伴う維持・経営の視点からと思うのが個人的な感想。
一つのものさしで決めつけるのではなく、それぞれのよいところを認めつつと思うのですけどね…。何より大切なのは、自分にあった学校選択です。
共学化が中学生の選択肢を広げることになるなら、個人的には賛成です。逆に言えば、共学にするなら中学生の選択肢を広げるような学校つくりをしないと…と思う今日この頃。
ちなみに、男子校・女子校の出身で母校が共学になった人に感想を聞くと、ノスタルジーを持つ人もいますが、要は母校・母校の後輩がのびのび学校生活を送っていれればそれでよいが共通項です。そのあたりが多数派のようですね。サイレントですけど。