55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

高校生の対話を傾聴する(学習支援ボランティア)

 

 大学入試・総合型選抜の準備が本格化してきました。

 同時に、高校生の悩みは「大学の学費」です。

 友人が勤務している、そして少しだけボランティアでかかわっている高校は結構な進学校で、子供を大学進学させることに経済的困難はない、もしくは、経済的には難しい状況であっても大学進学を優先させるという価値観が多いようです。

 要するに、「金は出すけど口は出さない」というのが保護者の価値観なんですね。

 とはいえ、そうではない生徒さんもいます。

 というわけで、先日は「教育費・学費」が話題となりました。

 

 今年の生徒さんが面白いのは、「あなたの考えが知りたい」です。

 正解を教えろとか、賛成か反対かの結論を求めるという発想はあまりありません。私も含め、それぞれがどのように考えているかを知りたがります。

 で、私も少し意見を求められました。

 個人的には、「義務教育の給食費」「高校・大学・大学院までの学費無償」が理想です。まず、それだけで、現場の先生方の労力がかなり減ります。また、学費無償になれば、生徒さんの選択肢が増えます。

 さらに個人的な見解でいえば、日本は「高校以上の学びは受益者負担」という発想が強いと感じています。だから「学費」が発生するんですね。受益者負担ということは、自分の学びは「自分の利益(出世・収入)」にしてよいということです。「国のため・他者のため・地域のため」に使う・還元する必要はないのです。というわけで、公務員希望者・地元で働く人が絶賛減少中…というのが個人的な考え。

 

 諸外国で、学費完全無償にしている国は、もちろん国の経済が豊かということもありますが、それ以上に、「教育を国家事業」としていると言えます。特に、大学院まで無償にすることで、科学・医学・経済・法律・政治・文学・芸術・スポーツ・平和など…たとえば「ノーベル賞の設置分野」に国際的な優秀な人材を育成することができます。

 

 明治時代、帝国大学の学費は高かったのです。現在は私大よりも国立大の方が学費が安いのですが、昔は逆。

 正確な換算値を出すとややこしいので省略しますが、現在の単位に直すと…

 ・帝国大学(国立大学)が、年間200万円くらい。

 ・私立大学が、年間数十万円くらい。

 ・「お金持ちで、かつ勉強ができる」=国立大学

 ・「勉強はできるか、お金がない」=私立大学

 もう一つの選択肢は「師範学校・陸海軍兵学校」。これは無料。ですから、特に地方の優秀で向学心のある(しかし、家庭の理解や経済力が…)若者は、妥協の接点として教育・軍事に進みました。

 今も、防衛大学海上保安大学校などは、それに近いですね。日本育英会奨学金も、昔は「学校の先生になれば返済不要」「大学院以上は無償貸与」でした。

 それらのシステムが廃止になったのは、財政的な理由もあるでしょうが、それを認めた背景には、「受益者負担」という価値観があったのではないかと思っています。

 つまり、教育によって得た成果は「個人のもの」であるということ。

 それを、「誰かに還元する」「みんなの幸福実現につなげる」「平和を創造する」などの必要はないということを、大人が認めちゃった…というのは言い過ぎでしょうか。

 ただ、結果的に「口は出すけど、金は出さない」というのが教育の現状になったわけです。そして、少し前の「センターテスト改革」では、国で行う体力がすでに失われており、民間企業に頼るしかないという現状が生まれたわけです。

 

 一方で、大学進学を希望する高校生さんの多くは、大学で学ぶことを、「困っている人を助けたい」「社会のシステムをよりよくしたい」「日本に明るい未来が必要」などと結び付けたいと真剣に考えています。

 これから、数百万円以上の経済的投資をして、他者の幸福実現に寄与したいという高校生に対し、できるのは「無料で質問に答えること」と思う、今日この頃。

 真面目に頑張ります。