◆書いてよいという許可を家族からいただきましたので…
私が早期退職できた要因の一つに、結婚が早かったことがあります。
私の「大学院卒業×就職」、妻の「大学卒業×就職」が同時でした。つまり、お互いに就職が内定した段階で結婚しました。自称学生結婚です。
共働きで財布は別、結婚式はしないという価値観を共有できたのが結婚の動機。そして、妻にとっては早々に結婚・出産・子育てを終えたことが、自身のキャリア形成につながったようです。
◆子育てで考えたこと
私が公務員に転職したので、転勤が子供のリスクとならない方法を考えました。結論は以下4つ。
①小学校での転校は1回まで。2回以上になる場合は単身赴任
②本人の希望が前提だが、中高一貫、もしくは大学附属の高校を受験して
高校受験、もしくは大学受験のリスクを回避する
③本人が海外留学を希望したら全力で賛成・支援する
④本人の希望が前提だが、ピアノと英会話は習わせる
要するに、小学校卒業まではできるだけ3人(一人っ子です)で暮らす。
中学・高校・大学受験の時には3人で暮らしていないとやはり大変なので、3人で暮らしているタイミングで受験する。
③④は妻の実家の教育方針。妻は高校・大学で海外留学を経験しており、女性の自立という意識が強めです。
◆最初の転勤は
公務員に転職して最初の転勤は小学校入学時でした。保育園の友達と同じ小学校に進みたければ私の単身赴任です。で、子供の様子をみるとちょっとおかしい。保育園で何かあるようで、一度リセットした方がよさそう(こういうところは私に似ています)。
というわけで一家で引っ越しました。任期は3年で終われば東京に戻ります。となると、小学校での転校は1回で済む。大きな都市でしたので妻も支店に異動できました。
そして3年後、東京の転勤前とは違う場所に戻り、そこで小学校を卒業します。
◆そして中学受験
子供から言い出しました。またリセットしたいことがあるようです。「どこの学校に行きたい?」と聞くと、夫婦の母校が出てきました。妻は中学から、私は高校からですが同じ学校です。後に本人が言うには「知っている学校がそこしかなかった」とのことですが…。で、無事合格しました。
その後、私の転勤が続くのですが、相談の上、学校の女子寮に入りました。自宅を出たのです。いろいろ思うことはありましたが、夫婦ともに「身軽になった×仕事に集中できた」のは事実。中高一貫なので高校受験もなくなりました。また、母校なので、学校の教育方針がよくわかっていたこと、恩師や先生になった同級生がいたことは安心材料。文化祭に行くと、子供に会うだけでなく、卒業生としての楽しみ、同級生との再会もありました。本人も学校があっていたようで、リセットを言い出すこともなかったです(まぁ、両親の母校ですからね(笑))。
◆そして大学受験
その頃、私は東北勤務でした。妻も東北を気に入り、私の仙台のマンションは、妻・娘の別荘と化していました。そんな時、娘が仙台から通える大学に進むと言い出しました。結果は×国立、〇私立。
ただ、私立の合格書類の中に「入試成績特待生」の通知書がありました。要するに授業料免除です。というわけで、中高よりも安く大学に通うことになりました。住まいも私と一緒ですから寮費も仕送りも不要。残業月196時間の私と娘とは同じ屋根の下で暮らしていますが、顔を合わせることはありません。
そして、カナダに留学してしまいました。英語ができると現地での奨学金を得やすいです。これは妻に感謝。自立心と英語力とを植え付けたのは妻ですから。
◆40代になると給与が上がってくる
給与が上がる年齢になりましたが、「中高学費×寮費」は変わりません。大学は「学費免除×自宅通学×奨学金で留学」。私はマンションを購入して家賃より低いローン額となり、断捨離して月16万円(将来の年金予想額)以内で暮らす練習を始める。というわけで、手元に残る金額が増えていきました。その後、沖縄勤務となりマンションは処分しましたが、物価の安い沖縄暮らしも早期退職資金形成にはありがたかったです。
早期退職の準備としては遅いスタートなのですが、給与が低い時代に子供を優先した分、給与が上がってきた時に自分を優先できたというのが今日のオチですね。
◆かなりきれいに書きましたが
記憶は美化されますからね(笑)。
ただ、夫婦でもめたこと、不安で眠れなかったこともあります。子供の学費などは夫婦で割り勘にしていましたが、20~30代の給与で「習い事+私立中高の学費×寮費」を払うのは本当にしんどかったです。ボーナスも右から左に消えました。
また、本人はあまり言いませんが、学校でいろいろあったことが中学受験の動機ですし、大学受験は第一希望不合格。結果的には「禍転じて福と為す」でしたが、そんな思いをさせたことに、親として罪悪感があります。
◆女性のキャリア形成の発想の一つとして…
働く女性・優秀な女性が、そのキャリアを「出産×子育て」で断たれる・諦めるという現実はまだ残っています。妻の母もそうでした。私たちが早々に結婚したのは妻の実家の考え。つまり、早く子育てを終えることで、先々のキャリアを広げるという価値観。
妻は就職活動で「入社時には結婚している。早々に子供を産み、子育てを終え、長く働きたい」と述べて会社の反応を探っていました。それを不採用の理由とする企業には行かないという選択です。
20代前半での出産(産休×時短勤務)は、キャリア初期では後れを取ります。しかし、本人の努力・周囲の理解があってのことですが、30代以降のキャリア形成では男性と対等になっていきます。私の転勤につきあっていくつかの地方支店で勤務してくれたことも、本社では男性と対等な経験を積んでいるという評価になっていると聞いたときは、ホッとしました。
◆最後に
書きながら振り返ると、義母の「女性の自立」という発想が大きいです。それを実現した妻と娘のおかげで今の私があるわけで、本当に感謝しかないです。
また、「共働きで財布は別」とは「妻の自立の発想」だと思っていましたが、実は「夫の自立」も促してくれました。
ちなみに、私の名前を画数で占うと「家族の縁に恵まれない」と出ます。
家族3人で一緒に暮らした時間は極めて短くそういう意味ではあたっています。ただし、3人に共通するのは「一人の時間がないと耐えられない」ことで(笑)、それは、家族であっても無理なものは無理。夫婦ともに「結婚不適合者」であると自認していますが、「財布も住まいも別という距離感」と「同じ高校の卒業生という共通性」に救われているようです。そして家族3人同じ高校出身になってしまったわけで、最早「家族の縁」より「先輩・後輩の関係性」の方が強いです。
一気呵成に書いてしまいましたが、見直すと長いですね。
申し訳ないです。
今は、東京(妻)、松本(私)、メルボルン(娘)。
3か所をつなぐのは「Google」です。