55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

昔の思い出を断捨離する

 

 大学時代、通学電車の中では「ビックコミック」とかを読むのが習慣でした。

 帰宅時、駅構内で当日発売の雑誌を100円で売っているおじさんがいました。たぶん、電車内で読み捨てたものを拾って…ですね。

 その頃、島耕作はまだ課長でした。

 そこで知った「会社のルール」のいくつかは、就職してから「本当であること」を知りました。たとえば、結婚すると「異動」、子供が生まれると「海外赴任」、マイホームを購入すると「地方勤務」の辞令を出して「忠誠心を確認する」というストーリー。いくら何でもフィクションだろう…と思ったのですが。

 

 社会人になると、出世には縁遠かったですが、転勤は日常になりました。

 仕事に対する忠誠心はほぼないのですが、「そこにはどんなおいしいものがあるのか、きれいな景色があるのか」と思うと、「即答×承諾」してしまうんです。

 幸い、家族も「単身赴任」というよりは、「二拠点生活」「無料の別荘」と考えてくれました。東北時代、娘は東北の大学に進学して我が家に「下宿」し、沖縄時代は、妻が頻繁にきて休日を楽しんでいました。

 

 で、転勤について私が目をつけられたのは、「既婚社会人」だったことが一つ。当時の感覚だと、「奥さん専業主婦でしょ」という思い込みが上司にありました。妻も働いているんですけどね(しかも、私より給与が…)。

 もう一つは、「院卒」だったこと。「体育会系×勉強できる奴はつかえない」という価値観を持つ上司にとって、私は「鍛えないといけない部下」でした(でも、上司は国立大卒で、偏差値的には私の方が低いんですけど)。そんなわけで、「定時内に行う業務」よりも、「土日の接待」「夜の根回し」に連れまわされ、男芸者に徹することもありました。

 ちなみに、妻は妻で、「取引先の接待でお酌要員(今ならハラスメントですけど)」として駆り出されるわけで、終電で一緒になることがよくありました。

 そんな接待の翌日の朝、上司が「奥さん、怒っていなかった」と笑いながら聞いてきます。「だいじょうぶです」と答えると上司がつまらなそうなので、「いや大変でした」と返すと満足そうでしたね。

 同様に、地方勤務中、東京出張の際、上司にご挨拶すると「奥さん、怒っていなかった」と笑いながら聞かれます(その上司が転勤を命じたのですけどね)。

 こういう時も「大変です。早く東京に戻してください」というと満足してくれます。

 実際は、羽田で待ち合わせしていて、一緒に沖縄に戻って、そのまま久米島なんですけどね。

 

 ということを思い出したのは、その上司を「お祝いする会」の連絡がきたから。

 しかも、今どき郵便で。

 簡単にお祝いの言葉を添えて「欠席」で返しました。

 当日出席できない人限定の「記念品×集金」もお断りしました。

 

 これも「断捨離」ですね。