55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

私が壊れた時(心が重い編 その1)

前回の記事はこちら。今回は、この記事の数年後の出来事。

ojisann5560.hatenadiary.com

 

民間から公務員に転職しました

 民間3年目に開いた胃の穴はふさがったようです(笑)。

 公務員としてのお仕事は東京で始まり、最初のお約束、地方勤務がありました。

 その頃は、後に地方暮らし、田舎生活にはまって、地方転勤を繰り返すこと、東北や沖縄で勤務すること、まして早期退職して東京を出て暮らすことになるとは全く思っていません。東京生まれですから、東京で暮らすと思い込んでいました。

 

病んだ背景

 最初の地方勤務ですが、同世代の同僚に恵まれ、お仕事終わりに「飯でも」と誘い合える環境もあり、とても楽しい時間でした。そして、お約束の期間の終わりが近づきました。民間・公務問わず、「転勤・異動は〇年」という法則・不文律・暗黙の了解がありますよね。

 直属の上司も、同時期に異動して来た同僚も、そのつもりでお仕事の締めくくり、引継ぎを意識していました。同僚に恵まれた職場でしたが、やはり心細いことも多く、東京に戻れることで少しホッとしたいという思いも強かったです。

 ところが…その年の秋頃から、新しいプロジェクトへの参加を命じられました。どう考えても年度をまたぐどころか、数年かかるプロジェクトです。なぜ私が…と聞いたのですが、直属の上司もよくわからないようです。こういう時、私は大胆と言うか、その上の上司(課長)のところに行くタイプです(笑)。

 しかし、課長から明確な説明はなく、何となくはぐらかされるんですね。

 

内示が…ない

 同時期に異動・転勤してきた同僚は、元の職場に戻るという内示を受けたそうです。

 お約束期間の終了ですね。ところが、私には…ないんです。

 直属の上司も首をひねっています。私としては、きちんと理由を説明してくれればという思いでした。赴任した時から「〇年ね」と言われ続け、その期間内で成果を出してくれと命じられ、結果も出したはず。

 そのうち、この人事が「私にとっての懲罰ではないか」という思いが湧きました。でも、懲罰を受けるようなことはしていません。ただ、私自身に自覚なく何かあったなら教えて欲しいという思いもありました。

 また、突然秋から「長期にわたるプロジェクトの担当になったこと」への不信感もありました。仕組まれていた?…ってことです。

 

さて事の真相は(あとから聞いた話)

 4月からプロジェクトが本格的に動き始めました。結構きつかったです。

 ちなみに、上の上の上司からは何の説明もなし。直属の上司も困惑したまま。しかも、プロジェクトには新卒2~3年目の若手が多いのです。

 そんな中、東京出張があり、裏話を聞けました。

 結論から言えば、上の上の上司がキーパーソン。ポイントは3つ

 ①プロジェクトの担当を決めることができなかった

  (しんどいプロジェクトなので、みんな断った)

 ②私の「後釜」を見つけることができなかった

  (そういえば、良い人紹介してと尋ねられたことがあった)

 ③私の評価は高かった 

  (好意的に言えば、だからプロジェクトの担当にしたと言える

   ただし、そこには「よそ者にやらせて弾除けにする」

   「東京に戻る=出世するヤツに、地方勤務の厳しさを教えてやる」

   という意図もある)

 

 という、ま、日本のサラリーマン世界のあるあるがつまっていました(笑)

 ちなみに、その上司の上司は、新年度の終わりに定年退職。

 私に過失があるとすると、「何言っても怒らなそう」という見た目。

 

 すいません、長いですね。

 もしよろしければ、アウトプットによる浄化にお付き合いください。

 「その2」に続きます