55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

私が壊れた時(心が重い編 その2)

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結局、人事について何の説明もないまま新年度が始まる

 上の上の上司はとぼけたままで、そしておそらくは、今まで「安パイ」と思っていた部下の反応が予想外だったことに驚き、その反抗的な態度(?)に不快感を抱き、どう扱えばよいか戸惑ってもいたと思います。

 ただし、新年度から本格的にスタートした新規プロジェクトが、予想とおり困難な状況になったことには満足していたようです。よそ者である私を「弾除け」に使うという目論見はあたったわけですから。

 

学んだこと、その1

 民間から公務員に転職して、ここで体験したんです。

 「公務員は、お客様を選べない」「新規プロジェクトには生贄が必要」

 民間企業なら、企業理念に沿わない要求をしてくるお客様とはお仕事をしません。しかし、公務員にはできません。公共事業は「トータル」で見れば、すべての市民の利益になるように設計されていますが、「個々」でみればその恩恵は限られます。そこに反対、批判、圧力が集中します。

 やがて気付いたのは、たとえば、猛烈に反対する議員さんは、「市民の気持ちを代弁している」と主張する一方で、本音では賛成ということ。そうなんです。議員や公務員が「お上に逆らうわけはない」んです。これを自分の実績にして票を集めること、出世の足掛かりにすることの方が大事という人も多いのです。

 そして、反対することも「一つの儀式」なんですね(笑)。私は反対したけれど、どうしようもないんですという言い訳を作る儀式。その儀式に捧げられたのが私と言うオチ。

 

そして、身体に拒否反応が出始める

 ある日の出勤途中、坂道の途中で車が前に進まなくなりました。

 エンジントラブル? ガス欠? ではありません。

 足が、アクセら離れているんです。アクセル踏んでいないのです。

 そのことに気付かないんですね。心と身体とが分離したようです。

 

今の私なら…

 私には「理性の糸を切ることで、しんどいことを感じないようにする」というクセがあります。しんどい時は、そうやってつらさを感じないようにして、平気を装っていたとも言えます。しかし、ダメージは受けているわけで、その自覚は心にはなくても、身体に出てきました。

 今の私なら、休め、寝ろ、病院に行け、理解してくれそうな人に相談しろ! と考えることができます。しかし、当時の私には無理でした。また、そういう状況にあることそのものが社会人失格という時代の価値観もありました。

 

その後の顛末

 プロジェクトは1年間全く進みませんでした。住民・議会の理解を得ることができないということです。そして、1年経って私は転勤しました。昔の上司が動いてくれて、約束通り東京に戻ることができました。

 その後の顛末は二つです。

 私の転勤後、プロジェクトは進み始めました。住民・議会の理解を得たそうです。つまり、担当者がいけなかった(私が無能だった)ということで、みなさん落ち着いたそうです。めでたいことです。

 東京に戻った私ですが、6月ころから心身ともに絶不調となりました。仕事は休みませんでしたが、夕方近くになると憂鬱感が高まるのです。また、お仕事をしていれば、例のプロジェクトの情報が入ってきたり、書類を目にすることがあります。上司から聞かれることもあります。

 そうすると、自分ではコントロールできない感情がわきあがってくるんですね。思い出したくない、触れたくない、聞きたくないという感情です。さすがに上司が気付いたようで、おかげで言葉にして少し伝えることができました。それがなければ、言語化もできなかったと思います。

 

学んだこと、その2

 民間時代の「夜の接待」には、お仕事相手を見極めるという意味がありました。

 公務員時代の「公共事業に対する反対」には、事業をスムーズに進めるための儀式という意味がありました。

 違いは、民間は相手を見極めて(あるいは、相手から見極められて)、接待後にお断りする(お断りされる)ことがあります。相手を選べるんですね。

 公務員は、事業の実施が前提ですから、どんな相手でもご理解をいただくことが必要です。つまり、私のようなタイプにはある意味で「危険」な職業なんですね(笑)。

 では、どうしたらよいか、考えました。

 

何でもできるわけではない…ということを相手に伝えて謝罪する

 朝起きれない小学生の自宅に、毎朝教師が行って起こして家族の朝食を作り、妹を保育園に連れていきつつ、小学校に一緒に登校することはできません。生活保護は、すべての人に満額支給されるわけではありません。その人の状況によって支給額は異なります。

 なぜですか…と言われれば、申し訳ありません。と返します。

 これが日本の教育、福祉の限界なんですとお伝えするのみです。

 そういう対応をすると、上司によっては怒られました。何とかしてあげなさいという上司もいました。まだそういう時代だったのですね。

 ちなみに、毅然とした態度で「できないことはできない」と言うのではありません。

 苦悩と悲しみをこめて「これが日本の限界、役所でできることの限界です」と伝えていました。それが現実なので…。

 

 で、ここから立ち直るまで、約5年掛かりました。

 これを黒歴史として笑い話にするには、さらに5年掛かりました。

 公務員がお仕事上のトラブル、上司との関係性、理不尽な業務によって命を失うニュースを見るたび、これが日本の限界×現実と思う日々です。

 そして、「弾除け・生贄なしで物事を解決する仕組み」をつくりたいと思ったのでした。(長いお話にお付き合いいただきありがとうございました)