わからないにも段階があって…
1.書いてあることが読み取れない
(国語力・語彙力などの問題)
2.文章は読み取れるが、内容を理解できない
(自分の知識・体験と結びつけて理解することができない)
3.内容の理解はできるが、自分の知識・体験と一致しないので理解できない
(未知の概念が理解できない)
4.内容の理解はできるが、自分の価値観と異なるので受け入れられない
(誤った先入観によって客観的な理解が進まない)
5.筆者の主張に矛盾や論理の破綻があるので筆者の意図がつかめない
(この場合は、書き手の問題)
これは、高校生の学習支援をしている時に意識しています。
「わからないの段階」をつかむことで、受け取ったボールをできるだけ正確に投げ返すということ。とくに注意しているのは、優秀な生徒さんは「5」の意味でわからないという言葉を使っています。これは高度な質問なので、こちらも緊張します。
学習支援の準備で意識しているのは、このような指摘を受けるような部分はないかですね。問題文でも、私自身の考え方でも。
わりと困るのは「3・4」ですね。
3は何とかなるのですが(少し手間暇はかかりますけど)、4は難しいです。
人の価値観は変えられないといいます。だからこそ、異なる価値観への敬意や理解する努力が必要だと思うのですが、また異なる価値観への敬意をお互いに持つことが「自分の価値観を信じることと、精神的な安定・安心」になると思うのですが…。
そういう人への対策としては、「日本語の語順で話すこと」を個人的に意識していました。日本語は「理由~結論」という流れになります。
「昨日から体調が悪くて、昨晩熱が出て、朝になっても回復しないのでこれから病院に行きます。ついては今日は遅れて出勤するか、休暇をいただきます」という連絡ですね。理由を先に述べると、理由を伝えているうちに聞き手も内容が予想でき、予定調和的に結論を共有するという非常に情緒的な効果が期待できます。
理由を先に述べることで結論を推測してもらう、共有するという流れですね。
これを工夫すると、相手に自分の考えを言わせることや、相手に華をもたせるという謙虚な姿勢(その実態は根回し・ゴマすり)を示すことにもなります。昭和のビジネスでは、おずおずと理由から述べるという儀式にメッセージを込めることもありました。
逆に言えば、いつもは最初に結論を明示する部下が、おずおずと理由を述べ始めたら自分のあり方を反省しないと危険というサインでもありますね。
…今日はこれからミーティングです。気をつけよ…。