東日本大震災の時は公務員として現場で動いていました。早期退職した今、客観的に状況を見ることができるようになると、「ああ、外からはこういう風に見えていたのか」と感じます。
早期退職×人間関係の断捨離をして一番楽になったのは、「価値観の異なる人と無理に付き合わなくてよい」ということですね。
そもそも、「価値観は異なるもの」「考え方も異なるもの」という前提で人間関係を構築できればよいのですが、日本文化には「価値観も考え方も同じ」という無意識の前提があります。この前提を共有できないと「排除」なんですね。
考え方が異なるから「わかりあう努力をする、異なる価値観を学ぶ、自己の先入観に気づく」という前向きな発想になるはずなんですね。そして、異なる能力や発想を集めることで創造的解決を導くこと(協働)に進めばよいのですが、現実は、「排除・分断・対立」で終始することが多いです。
大きな事件・事故・災害の現場では、「協働的知性」「感情的排除」が同居します。
例えば、災害時の避難所運営は、被災者で自主運営できるように組織化した方がよいです。そのことで、被災者の個々の能力の発揮や役割分担をしながらの「コミュニティー(協働性)」が形成されます。すると、その場に心理的安全が生まれます。
一方で、学校の体育館が避難所で、そこの先生が運営をする(させられる)パターンにはリスクがあります。要するに「公務員が面倒をみろ(感情論)」なんですね。こういう避難所にマスコミ取材や有名人による炊き出しが集中すると、モンスター被災者が出やすくなります。モンスター被災者の背景には、被災者への過剰な同情を示す一部市民の感情があるわけで、その感情は「攻撃的排除」となってモンスター化の要因となります。これだと、その場にいるだけで疲弊します。と言って他に行き場所もない…となり、生活再建という次のフェーズ(自立)に進みにくくなります。
いろいろありますが、今は「何もしないことが支援」「邪魔をしないことが最優先」という段階のようです。そういう判断を自分に下し、そのとおりに日常を送り、経済を回し、奇跡を祈っています。
また、そういう自分の判断を、価値観の異なる人に「説明しなくてよい」「理解を求めなくてよい」「攻撃されることもない」という暮らしは、心理的安全性が高いです。
心理的安全性が高まることで、私の早期退職生活も「次のフェーズ」「次のフェーズ」へと進んでいくようです。
早期退職して4年、社会に対して何もしないことが貢献、若い人の邪魔をしないことが最優先という段階に入ったのかとも思います。今年は、そのとおりに暮らします。そして、災害が復興段階に入ったら能登へ旅行と思います。
というわけで、そろそろ神社も空いてきたでしょうから、初詣ですかね。
祈ってきます。