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やっと晴れました
私と妻とは2歳差で、私の方が上。あと娘が一人。
3人とも大学は違いますが、私立の文系学部。
妻と娘の初年度納入金(合格時に支払う入学金も込みの費用)は同額ですが、私とは倍違います。
私が高校生の頃、青山学院大学が厚木にキャンパスを作りました。教養科目は厚木、学科によっては4年間厚木。以降、都心の大学が郊外にキャンパスを移し始めました(現在は、都心回帰になっていますが)。
多分、私が私大文系初年度納入金60万円の最後の世代。
大学によって異なりますが、1~2つ下の学年から100~120万円になりました。
で、2つ下の妻は120万円支払っています。
以降、あまり変動なく妻と娘とはほぼ同じ金額。
私の大学同期には地方出身者が多く、いわゆる育英会の奨学金を貰っている人も多かったです。多かったのは「月5万円」。つまり12カ月で60万円なわけで学費を奨学金でまかなうことができました。ちなみに、教員になった同級生は返済免除。
都内の自宅から通学で両親共働きの私は奨学金を利用しない(というかできない)で学部を出ましたが、大学院は奨学金を使えました。教員になると返済免除になるように、大学院にも返済不要の奨学金がありました。院に進んだのは、この点も大きかったです。
私が院2年の時、学部1年に入ってきた後輩がいます。彼はとても優秀で、母校の修士を卒えると、国立大学の博士課程に進んで研究をつづけました。
その後、某予備校の講師になったと聞き、「?」と思いました。
能力と実績からすれば、大学の助教か講師になってもおかしくないはず…。
借金が500万円近くになったと言うのです。
大学院の奨学金も要返済に変わっていて、その返済額です。
そして、大学の助教や講師だと給与が安くて返せない。そこで、大手予備校の採用試験を受けたというのです。その頃、大手予備校の年俸は1,000万円からでした(今はどうなのでしょう)。
ということを思い出したのは、彼の記事を見たから。高校の探究学習についていろいろ書いていました。
彼が大学から離れてしまったのは、私たちがいた分野にとって大きな損失でした。
その頃、研究費の申請に競争原理が導入され、論文書くより申請書を書く時間の方が長くなってしまったこと(ということは、それだけ研究量が多く、申請数も多いと言うことなのですが)も、彼の心を折ったようです。
でも、そういう人材が予備校という場所から高校生の教育に関わるのは、学問の底辺拡大と底上げになるでしょう(本当は学問の頂点に進むべき人なんですけどね)。
思うのは、「子供には我慢が必要だ」「学校に冷房なんか不要だ」「学校の先生には贅沢だ」と主張して教育予算を削ってきた大人たちのこと…。
いまだに私大20万、国公立7万円だと思っている人たちのこと。
というわけで仕事に戻ります。
少し稼いで知り合いが勤めている教育系NPOへの寄付を増やそうかと思う今日この頃。能登もまだまだだそうです。