55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

日々雑感(学費のことを思い出す)

              やっと晴れました

 

 私と妻とは2歳差で、私の方が上。あと娘が一人。

 3人とも大学は違いますが、私立の文系学部。

 妻と娘の初年度納入金(合格時に支払う入学金も込みの費用)は同額ですが、私とは倍違います。

 

 私が高校生の頃、青山学院大学が厚木にキャンパスを作りました。教養科目は厚木、学科によっては4年間厚木。以降、都心の大学が郊外にキャンパスを移し始めました(現在は、都心回帰になっていますが)。

 多分、私が私大文系初年度納入金60万円の最後の世代。

 大学によって異なりますが、1~2つ下の学年から100~120万円になりました。

 で、2つ下の妻は120万円支払っています。

 以降、あまり変動なく妻と娘とはほぼ同じ金額。

 

 私の大学同期には地方出身者が多く、いわゆる育英会奨学金を貰っている人も多かったです。多かったのは「月5万円」。つまり12カ月で60万円なわけで学費を奨学金でまかなうことができました。ちなみに、教員になった同級生は返済免除。

 都内の自宅から通学で両親共働きの私は奨学金を利用しない(というかできない)で学部を出ましたが、大学院は奨学金を使えました。教員になると返済免除になるように、大学院にも返済不要の奨学金がありました。院に進んだのは、この点も大きかったです。

 

 私が院2年の時、学部1年に入ってきた後輩がいます。彼はとても優秀で、母校の修士を卒えると、国立大学の博士課程に進んで研究をつづけました。

 その後、某予備校の講師になったと聞き、「?」と思いました。

 能力と実績からすれば、大学の助教か講師になってもおかしくないはず…。

 

 借金が500万円近くになったと言うのです。

 大学院の奨学金も要返済に変わっていて、その返済額です。

 そして、大学の助教や講師だと給与が安くて返せない。そこで、大手予備校の採用試験を受けたというのです。その頃、大手予備校の年俸は1,000万円からでした(今はどうなのでしょう)。

 

 ということを思い出したのは、彼の記事を見たから。高校の探究学習についていろいろ書いていました。

 彼が大学から離れてしまったのは、私たちがいた分野にとって大きな損失でした。

 その頃、研究費の申請に競争原理が導入され、論文書くより申請書を書く時間の方が長くなってしまったこと(ということは、それだけ研究量が多く、申請数も多いと言うことなのですが)も、彼の心を折ったようです。

 でも、そういう人材が予備校という場所から高校生の教育に関わるのは、学問の底辺拡大と底上げになるでしょう(本当は学問の頂点に進むべき人なんですけどね)。

 

 思うのは、「子供には我慢が必要だ」「学校に冷房なんか不要だ」「学校の先生には贅沢だ」と主張して教育予算を削ってきた大人たちのこと…。

 いまだに私大20万、国公立7万円だと思っている人たちのこと。

 

 というわけで仕事に戻ります。

 少し稼いで知り合いが勤めている教育系NPOへの寄付を増やそうかと思う今日この頃。能登もまだまだだそうです。