55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

昭和の人間ですから飲み会は断りませんが余興は苦手でした

 

 松本市は快晴ですが、長野県の北部には大雪警報が出ています。

 今朝は寒さで目覚めました。現在の気温は氷点下6℃。道路は乾いていますが、屋根や車にはうっすら雪があります。昨晩、降ったんですね。エアコンも使って部屋を暖めています。今月の電気代は少しかかりそう。

 

 昭和生まれのバブル就職組ですから飲み会は多かったです。

 ただ、私は酒が飲めません。そこで、宴会では「幹事・運転手」に立候補してお酒(の強要)を回避しました。

 苦手だったのは、宴の半ばにある「余興」。余興をする側にならないために幹事や運転手をやっていたと言っても過言ではありません。

 

 エールを切るのはよいのですが、その時なぜ服を脱ぐのか…理解に苦しみます。

 また、予定された人以外に余興を強要したり、頼んでいない人が余興を始めたりもあります。宴席ですから寛容な空気と笑いでやり過ごしますが、なかなか(笑)。結婚式で新郎がベロベロにされ、激しい余興が繰り返され、お客様退出後に新郎は倒れこみ新婦号泣という修羅場も見ました。暴れてモノを壊す人がいた時はその人にかわって謝り、事後処理の交渉をするのは役割ですからよいのですが、ご本人に記憶がないとか、弁償金を宴会用の積立から出せとか、そういうのは困りました。以降、幹事の際は「保険」をかけました。

 

 そんなことをしているうち「部内総務」と言われるようになりました。昔は宴会の仕切りが人事評価の対象になっていて、「飲まない方の宴会要員」になったことが仕事・人間関係を広げてくれた部分もあります。

 それでも、宴会そのものは苦手、余興は苦痛。

 

 という昔のことを思い出したのは、老化現象もありますが、ある大学のサークルがやってしまったようですね。破壊行為が「サークルの伝統」として肯定されていたのでしょう。大学は厳正に処分でしょう。

 退学だと除籍になるはずですから最終学歴は「高卒」に。

 停学となった場合、「春学期」が飛びます。その人の単位取得状況によりますが「留年」の可能性が高くなるでしょう。停学期間中の「教育実習・インターン」などはキャンセルになるはず。

 「奨学金」を使っている学生には「返済」が求められます。

 処分が奨学金貸与資格に抵触すれば一括返済。4年生ならばほぼ全額。

 難関大学でサークル合宿に参加できるくらいですから経済的には余裕のある家庭で、奨学金は使っていないと考えられますが、もし…だと怖いですね。処分は停学でも、経済的に退学を選択するしかないということも考えられます。

 

 昭和の終わり、あるプロレス団体が宴会で旅館を破壊したという伝説があります。

 その時、その場に一人残って黙々と後片付けをし、破壊状況のメモを取っていた人がいたそうです。その方が謝罪し、旅館と修理・休業補償など交渉をし、数百万円を支払ったとか。今回のケースだと、サークルの誰かが謝罪し、保護者の方が修理・休業補償費用を支払うという対応ができなかったのかな…とか思います。費用はすごい金額になりそうですけど、原状回復・休業補償がボトムライン…と思うのはもう昭和の価値観なのでしょうか。 

 

 不寛容社会と言われるようになって久しいですけど、寛容になれない状況を作る人がいるのも事実なわけで、難しいですね。

 「お客様は神様」「学生のやることだから」という言葉を拡大解釈しないことですね。特に本人が使わないことが大事。そこに品性が問われるのは今も昔も変わらないだろうと思う今日この頃です。