55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

早期退職した理由は その5

 

 沖縄勤務の任期は2年という話でした。

 しかし、なぜか勤務は3年目に突入し、その年の夏、母は亡くなりました。

 連絡を受け、上京しようとしましたが、夏の那覇~羽田便に空きは少なかったです。

 葬儀を終え、沖縄に戻る前、香典をいただいた同僚に御礼をするため、東京のオフィスに伺いました。そこで、ある上司からこんなことを言われました。

 「これで、君が東京に戻ってくる理由がなくなったな」

 

 仙台のマンションを処分した段階で、私の暮らしはかなり軽くなっていました。

 沖縄への引っ越しは、日通の単身パックで済み、住まいは家具家電付き賃貸です。

 ちなみに、賃貸家賃は月45,000円。家賃補助が2万円出ましたから、仙台時代のマンションの管理費・修繕積立費の合計より、私の負担額は少ないです。当時の沖縄の物価・水道光熱費は安く、娘は奨学金を得てアメリカに留学し、私の断捨離は進みました。このことで、早期退職資金が予定よりも早いペースで貯まり始めました。

 思えばこの時、貯蓄だけでなく、NISAを始めていればですね…。

 

 そして、沖縄の上司に、退職の打診をしました。もし4年目になるようなら…です。

 要因は3つ。

 人事への不信感。

 娘が、経済的に自立しつつあること。

 そして、母が亡くなったことで父の様子がおかしいことがわかったこと。

 母が元気な頃から、認知症は発症していたようです。しかし、母がカバーしていたようで問題は顕在化せず、認定も受けていませんでした。しかし、妻を亡くすことで、認知症が進むケースがあります。東京で一人暮らしとなった父の暮らしが荒れ始めました。そのため、定期的に東京の実家を訪問することが必要になりました。

 この時、沖縄は助かる部分もあります。何といっても「那覇~羽田」は早朝から深夜まで便数が多い。沖縄の自宅からはモノレールで空港まで行けます。というわけで

 「沖縄の自宅~那覇空港羽田空港~品川~東京の実家」で到着。

 往路は「早割り」、帰路は「マイル」にすれば、移動は一万円以下。

 早朝便を使えば東京からのエクストリーム出勤や、怒涛の日帰りも可能です。

 

 この様子を見て、沖縄の上司は私の異動に理解を示し、何とかしようと動いてくれたようです。しかし、出張の際東京の上司に会うのですが、その話が伝わっている気配(伝わっているはずなんですけどね)がない。また、担当しているプロジェクトもあと1年はかかる。

 

 公務員になって周囲を見ると、人事には「家庭の事情への配慮」が優先されていました。ただ、これは上司の価値観によって左右されるようです。

 「個人や家庭などに事情があっても、それを犠牲にして仕事に励み、忠誠を示すことが美しい」という価値観の方が人事にかかわると、その通りになりがち。

 また、「認知症の介護の大変さ」も、世間一般的な認知は低いです。「大変だね」「頑張ってね」で済まされます。「お前の責任で何とかしろ」「親の介護を言い訳にして仕事を休むな」という認識ですね。

 

 沖縄勤務4年が終わって、私は東京に異動になりました。

 新しい担当部署の直属の上司は、「犠牲と忠誠」を求める人した。母が亡くなった時、私に「君が東京に戻ってくる理由はなくなったな」と言った人です。

 

                            つづく