55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

早期退職した理由は その4

 

 40歳を過ぎて、東北勤務になりました。

 初めての東北暮らしで知ったのは、蕎麦のおいしさ、海鮮の新鮮さ、スキー場と温泉がセットになっていること、四季の変化の美しさ。

 特に、妻や娘が東北を気に入り、後々、娘は仙台の大学に進学することに…。

 そして、「早期退職×老後の暮らし」を考えていた私は、仙台にマンションを購入しました。中古ですが、2LDKが1,000万円前半で買えるのです。東京の半分以下。

 というわけで、賃貸から分譲になり、断捨離も進み、早期退職の準備が進みます。

 

 そして、東日本大震災が起きます。

 いろんなことがありましたが、この時は私は、「ああ、私は東北で一生を終えるんだな。この土地の人々の暮らしを支える人生になるんだな」と感じていました。

 つまり、「定年まで働き続けるという選択」が意識の中で大きくなってきたと言えるでしょう。

 また、「津波の前の街の姿に戻してほしい」という声は強かったですが、復興のためには「未来を根拠に」という声も大きくなってきました。つまり、「人口減少に端を発する時代の変化」を受け入れ、これを機に、「発展より持続性」に舵を切る自治体・民間企業が増えました。そうなると、仕事に対する私のモチベーションは高まります。

 

 その頃、母はがん闘病中でした(東京在住です)。

 母を仙台に呼ぶことなども考え、上司には、「東北勤務で固定してください」と伝えました。もし、東京に戻ることがあっても、その後東北に戻してくださいということです。生活本拠地も「仙台」にしました。  

 もしですが、この時「東北勤務で固定」されていれば、私はまだ公務員として働いていたと思います。住まいも仙台のままで、母の死に目にも間に合ったでしょう。

 

 しかし、ある日突然、上司に呼ばれた私は転勤の内示を受けます。

 東京経由の沖縄勤務…。

 任期を確認すると、「2年」という返事。

 この時、母はまだ東京にいます。仙台で物件を探していた時でした。

 2年は、母の状況からすると難しいです。

 「断れますか?」と聞くと、「すまん」という言葉が返ってきます。

 「沖縄の後は、東北に戻していただけますか」と聞くと、「努力する」と。

 

 沖縄では、人に恵まれ、学びも多く、とても充実した時間であったと思います。しかし、結局沖縄には4年間勤務することとなりました。理由はわかりません。

 この間に、母は天国に旅立ちました。仙台のマンションは処分しました。

 仕事のモチベーションが下がり、父の認知症は進みます。

 

 予定していた早期退職資金が貯まるまで、もう少しです。

 

                      つづく…