◆早期退職の暮らしで見えてくるもの
海外留学すると、逆に日本・日本文化・日本人というものが見えてきます。
これと同じで、早期退職すると、現役時代の自分・働き方などが見えてきます。
ただ、もう現役には戻れないんですけどね。ですから、「早期退職×過去の振り返り」で気づいたことを、自分の働き方として活かすことはできないんです。
そして、気づくことってのは、その時は「正しい」「これしかない」と考えて行っていたことが、結構な誤りであることなんですね。それが振り返りなんですけど(笑)。
で、振り返りであれば「修正・改善・成長」になるはずなのですが、何せ「退職」しているので、それらができません。
残るのは「悔い」「自虐」なわけで、気づくほど「封印したい過去」が増えていきます。これ、結構しんどいです。
◆早期退職してわかったこと
現役時代の私ですが、特に後半戦は「何でも屋」でした。
ただ、「何でもできる人(スタメン)」ではありません。「便利屋」です。
「便利屋」ですから、スタメンではありません。一応一軍にいますし、二軍に落とされることはありませんが、それは「能力が高い」からではなく、「使いやすい」から。
もちろん、好きで何でも屋になったわけではありません。
ただ、「みんながやりたがらない業務」を引き受けているうちに、いろいろな経験を積んで多分野で「門前の小僧」と化したのです。で、そのことを現役時代は、自分の「売り」にしていました。まぁ、出世は望んでいなかったので、「何でもやりますよ」「部署横断的な業務できますよ」「窓口から議会対応まで」ということを自虐的に発しつつ、実際にやっていました。
その結果、自分の専門性が弱くなっていく、能力が低下する、メンタルが痛むのですが、そのことへの自覚が足りなかったですね(だから、早期退職してしまうのです)。
◆常に「よそ者」というポジション
東京生まれで、高校・大学は都内で卒業しました。
ただ、人生トータルで見れば、地方暮らしの方が長いです。しかし、地方の人からすると、私は「東京の人」なんですね。「都会風を吹かせるヤツ」という警戒の対象。
お仕事でも「東京から転勤してきて、しばらくしたら東京に帰る人」というイメージが先行します。東北時代は、仙台にマンションを買っても、娘が仙台の大学に進学しても、「どうせ帰るでしょ」で会話が終わる。
ただ、「よそ者」だからできることもあります。職場には、「中学・高校からの同級生・先輩後輩」という人間関係がたくさんあります。その中には「不仲」も少なくありません。学生時代からの遺恨を引きずっているんですね。小学校・中学校の合併が難しいのは、隣り合う地域の不仲・対抗意識だったりします。ですから、統合した学校の「校名」を決めるのはとても難しい。
そういう時、よそ者の私がクッションになります。よく言えば「潤滑油」。実態は「両者の不満を浴びるサンドバッグ」。問題解決のファシリテーションと言えば格好いいですが、もちろん表面的には「感謝」もされますが、残った「遺恨・不満」を浴びる役目でもあります。これは、業務上の立場として受け入れてはいました。自分の人徳の不足でもあります。ただ、そこに「移住・定住」するのはしんどいですね(笑)。
◆松本暮らしの心地よさ
私のようなタイプが地方移住する場合のコツは、暮らしと仕事とをわけること(笑)。
完全リモートとなった今のお仕事ですが、お仕事先は東京。
つまり、東京で稼いで松本で暮らす。松本では「働かない」「稼がない」「都会風を吹かさない」ってこと。そして、松本の個人商店・長野のローカル資本で買い物・食事をしてお金を落とす。要するに、「過去を封印して、ただ松本という街を楽しむ」。
お仕事がなければ、人間関係も不満も生じません。
このまま、松本で長く暮らしたいと思う今日この頃です。
今度こそ、定住に向けて。