55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

平成元年の初任給(個人の記憶)

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「バブル世代×公務員」ですので、世間からの風当たりは強いです。

 で、少し思い出すことを。

 

大学同期の仲間たち

 私は、平成元年に大学を卒業し、民間企業に就職しました。

 ただ、私は大学院(修士)だったので、給与はちょっと高めにいただけました。

 で、記憶をたどるとこんな感じ

 

 平成元年初任給平均

 ・民間企業  16万円(大卒)

 ・民間企業  14万円(高卒)

 ・公務員   16万円(大卒)

 ・地方公務員 14万円(大卒・市役所職員など)

 ちなみに、「三菱自動車の7人乗り(シャリオ)」が、120万円(込み込み)で買えました。今乗っているフィット3は、新車で200万円以上ですね(私は中古で購入しましたが)。

 

覚えていること

 首都圏近郊の市役所に就職した後輩(大卒)の初任給が、「14万円」だったこと。額面です。公務員って給料安かったのですよ。

 私たちの世代、「地方出身×東京一人暮らし」は、風呂なしアパートが基本。家賃は月2~3万円でした。しかし、就職すると「風呂なし」というわけにいかない。「バス・トイレ付」の家賃は「月5~6万円」。

 額面「14万円」から「税金等×家賃」を引くと、5~6万円くらいしか残らない。これに水道光熱費奨学金の返済もある。というわけで、地方公務員組は、大学卒業後も実家から仕送りをもらっていました。

 

公立学校の先生×銀行員

 地元に戻って学校の先生(中・高)、銀行員ってのも多かったです。

 銀行・証券は、月20万円くらいでした。公立学校の教員になった同級生がため息をついていたのを覚えています。額面で4万円くらいの差ですからね。しかも、先生になると、「新人は運動部の顧問」になる。たとえばテニス部の顧問になると、ラケット・ウエア・シューズなどを「自腹で購入」しないといけない。これが数万円。休日1日、練習や大会で生徒引率した場合のお手当は、当時300円くらい。ちなみに、部員を自家用車に乗せて試合会場に移動するのが当たり前。軽自動車ってわけにはいかず、ローンでワゴン車も買っていました。

 銀行組は、タクシー券でしたね。私もでしたが…。

 ただし、接待で2次会までご案内し、タクシーを確保し、皆様を送り届けてからになります。で、翌日は始発で出社し、接待で決まった商談の書類を始業時間までに作るというおまけつき。私はゴルフとかしないので「平日接待要員」。これが「月~金連続」となるため、衣類は2週間洗濯なしでも大丈夫なように揃えておく。加えて「スーツは昼休み、会社近所のクリーニング店に出す」のがルーティン。

 

その後、民間から公務員に転職すると…

 収入は、ガクッと減りました。当時の人事院勧告は、「公務員の給与を、民間並みに上げなさい」でした。現在と逆です。

 それでも、「公務員の給与が高すぎる」というご批判をいたくことがありました。通常対応は「お詫び」です。ただ、そのご批判が「対応している職員(私)への個人攻撃×私と同世代」になった場合は、少しだけ反撃しました。

 私と同世代であれば、バブル時代どれだけ貰っていたか知っていますからね(笑)。

 

つくづく思うのは…

 「人口減少」への対応がうまく進んでいないんです。

 某ドラマで「日本は沈没しない」という政治家が登場しますが、それと同じ(笑)。

 人口が減ることを未だに理解できない。あるいは、地元だけ増えればいいと考えている。そういう大人が決定権を持っているってことです。それは、国会だけでなく、各地域も同じ…。

 わかっているのは、若者に多いです。ですから、優秀な若者ほど、大学×就職で海外に出る、もしくは公務員を辞めるという悪循環なんですね。

 というわけで、ご縁があって学習支援しているのは、優秀な若者と一緒に未来を考えることができるため。大学入試の小論文問題も「日本は沈没するを前提とした出題」になっています。そこに、日本の希望があると感じる今日この頃です。