55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

29年目の朝に思うこと

 

 SDGsという言葉が、世の中に浸透してきています。

 昨年のセリーグのBクラスチーム(スワローズ、ドラゴンズ、ジャイアンツ)の頭文字もSDGsでして…こういう言葉遊びが出てくるというのはかなり一般的になってきた証と言えるでしょう。

 

 この言葉、出てきたころは「怪しい」「何やそれ」という方も多かったです。 

 一人も取り残さない…なんて無理、非現実的という意見もありましたし、SDGsの理念や分類方法そのものに懐疑的な方もいました。でも、それはそのとおりで、そういう否定的な発想を意識して振り返りをすることはとても大事。

 で、何が言いたいかと申しますと、企業も理念として取り組んでいますし、中高生の探究学習でもこの言葉を意識する生徒さんはとても多い。でも、SDGs推進派の私でも違和感を感じることが増えてきました。

 これは、とくに都会の私立学校の生徒さんに多いのですが、いわゆる発展途上国の課題(貧困、教育、医療など)を取り上げ、その解決の発想を示して「SDGsを達成しよう」で終わるのですね。これ、ちょっとズレているというのが個人的印象です。

 そろそろ、SDGsの意味の再確認、再定義が必要な気がします。

 

 個人的には、「未来とつながっていない部分を繋ぎ直す」ではないかと思っています。

 SDGsでは「持続性」が一つのキーワードなのですが、これが「過去の継続、過去とのつながりの維持」になってはいないかです。もちろん、持続性に過去の継続は内在するのですが、そこに「未来との接続の視点」がないと、本質的な理念からズレてしまうのではないかというのが個人の感想。

 

 なんてことを考えてしまったのは、阪神淡路大震災から29年目の日だから。

 29年前、SDGsという言葉はなく、やがてくる人口減少に基づいた発想も弱かったです。15年経っても神戸市の経済状況は震災前に戻らないまま人口減少が始まり、オリックスは神戸から去り、失われた30年がやってくることを当時の私たちはまだ知りません。誰が悪いというわけではありません。この事実から学ばないといけないということ。

 こういう事実は、東日本大震災の際、「阪神淡路の教訓」を学ぶ中で少し世に広まりました。そして、被災した町の復興を考える時「未来とつなぐこと」という意識の重要性を知りました。

 復興にはさまざまな課題がありますが、その際「未来とつながっていない部分はどこだ、何だ、どんなことだ」という視点から考察すると、教育・郷土文化が出てくることが多いです(今まで一番予算をケチっていた分野ですね)。

 そして、福祉や医療には結構な予算が割かれているのですが、これが意外と「未来とはつながっていない」ことにも気づきます。となると、未来とつながる福祉・医療の形を考えないといけません。教育も同じ、町づくりも同じ。

 そのためには、「希望ある未来とは」から考えないと、前提の共有ができず議論が進まない。あるいは、ミスリードしてしまう。

 

 ってなことを思い出しました。

 被災地の人々が「希望ある未来」を考えるのはまだ難しいかもしれません。

 でも、被災地の未来は、被災地の人々が考えて決めてほしいと思っています。

 当事者ではない人々のネット上の論争で決めるものではないと、そんなことをネットに書き込んでいる自己矛盾に悩みつつですが、そんなことを来年度のお仕事に反映できればと思う今日この頃です。