東北時代、東日本大震災を経験しました。
公務員でしたから、自分の暮らしより被災者の支援が優先。
現地での避難所運営や街の復興などに関わらせていただきました。
◆被災地では、無力感に襲われる日々
被災地では、重いものを運べる体力、理容師・美容師、調理師、鍼灸・マッサージ師、大工さん、子供たちと一緒に野球やサッカーができる、DIYが得意…。そういう能力が人々の心を癒します。
大学まで進んで身に付けた学問というのは、人の命の現場では何の役にも立たないんですね。当時は、無力感に苛まれたものです。
◆新型コロナの自粛生活では
まず、自分や孤独に向き合うことになります。
日本の古典文学には、出家や俗世間から離れた暮らしの心情を綴ったものがあります。漢文には、国が乱れるのはなぜか、混乱する世の中で人はどのように生きていけばよいかなどを記した文章があります。
1000年以上前の文章にリアルな共感を覚え、救われています。
というわけで、震災時は無力感に襲われましたが、新型コロナでは大学まで進んで勉強してよかったと感じる日々です。そうでなければ、心が壊れてしまったと思います。
◆科学的な価値観を知ることでも救われている
教育・医療・福祉を長く担当しました。
その中で、門前の小僧程度ですが、科学・数学的な価値観を学びました。
数学は、社会課題を見つけること、未来を語ることができるものなんですね。
そういう視点から見ると、感染症の情報について、医学的な根拠のあるものと、感情的なものとの区別がついてきます。医療者の努力も伝わります。
一方で、環境問題の解決を経済から導こうとして失敗した経験は活かされず(京都議定書)、科学的知見のある人材と研究とを軽視した政治家の主導が、現状を導いているように感じています。
◆早期退職生活×自粛生活では「学び」に救われている
というわけで、誰の役にも立っていないのは変わりません。
しかし、不安やモヤモヤの解消に「学び」は欠かせないものになりました。
そもそも、あらゆる個人の悩み、社会課題には、既に答えがあります。
そういう「先人の学問」「先行研究」を知ることが、穏やかな生活、冷静な判断、メタ思考を支えてくれています。
現役を引退したら、自分の機嫌は自分で取ることが大切と感じています。
機嫌良く暮らすこと、それが世の中に対してできる唯一のことと思っています。
そんなわけで、これからも自分のペースで学び続けようと思う今日この頃です。