小澤征爾さんが亡くなられました。
私がクラシック音楽に目覚めるきっかけの一人の方でしたから、いつかその日が来ることはわかっていてもつらいものがあります。でも、これも年を取るという中で経験することの一つなのでしょう。
最初は小学生の時、たまたまテレビで見た「フィルハーモニア管弦楽団の来日公演」ではまってしまったのです。ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮のブラームス交響曲2番。記録を見ると1978年NHKホールの公演ですね。
ブラームスの2番を聞いてそのカッコよさにはまり、なけなしの小遣いをはたいてレコードを買いました。当時LPは2,500円でしたが、1,000円の廉価版もありました。廉価版は古い音源が多いです。そして購入したレコードは「フルトヴェングラーのベルリンフィル」とか、「ワルターのウィーンフィル」とかが多かったため、私のクラシック音楽は「ドイツ音楽×オールドスタイルの演奏」が始まりになります。
そういう世界にどっぷりはまっていた時、「小澤征爾×ボストン交響楽団」の来日公演がありました。この時(テレビで)聞いたベルリオーズの幻想交響曲は、中学生の私にとって異次元の音楽体験になりました。フランス音楽のモダン解釈との出会いです。そして、私はフランス音楽にはまり現在に至ります。
小澤征爾さんの生演奏を聴きたくても、ボストン交響楽団の来日公演のチケットは学生には高額でしたし、日本では新日本フィルしか指揮しないためなかなかチケットが取れません。やっと生演奏に触れたのは、大学時代の新日本フィルの定期公演。
圧倒されました。オケから出てくる音が、いつもの新日本フィルではないのです。そして、後ろから見ていても求めている音楽が指揮棒から感じられるのです。これをオーラというのでしょう。
オケには友人がいて、ややネガティブな内幕も聞きましたが、でもやっぱり小澤さんはすごい…が結論でした。そして、サイトウキネンオーケストラが結成され、シャコンヌの演奏で完全降伏しました。松本で演奏されたサイトウキネンオーケストラのブラームスの1番は、今でも聞き返すことが多いです。
松本に移住した要因の一つは、サイトウキネンオーケストラがあることでした。
昨夏、指揮は小澤さんではありませんでしたが、生のサウンドに触れて幸福でした。カーテンコールで舞台に出てきた小澤さんに拍手できたのは、個人的には宝物的体験です。
小澤征爾さんの訃報は、2月9日に公表されました。
2月9日は、夏目漱石の命日です。
夏目漱石・小澤征爾の共通点は、西洋と日本との関係に苦悩し、その中で日本人としてのアイデンティティに向き合ったことです。西洋から「日本人に西洋文化を理解できるはずがない」と言われ続け、そこに日本の文化と西洋のロジックとを用いて対抗したことです。とても孤独な戦いであったと思います。
西洋と日本との関係に苦悩した日本人の歴史は、夏目漱石のイギリス留学に始まり、小澤征爾さんの死去で一つの終焉を迎えたような気がします。
今後は、日本と西洋、ヨーロッパとアジアのような「対立軸」から始まる関係性は弱くなるでしょう。これからは対立の先にあるものから創造が始まるはず。そういう意味では、漱石や小澤さんは、対立から融合に時代を進めた人、「0→1の創造」をした人というのが個人的感想です。そういう人がいたから、今があるということ。しかし、こういう先駆者には、批判や差別が浴びせられることも多いです。そして、先駆者たちの多くは、身体を壊して最期を迎えます。それが芸術家の宿命と言えばそれまでなのですが…、もし、建設性のない批判や心ない差別によって健康が損なわれていたならば…、今後はそんなことはなくなって欲しいと思います。
漱石の「明暗」の続きも読みたかったですし、小澤征爾のベートーヴェンももっと聞きたかったな…。
というわけで、今日は思い出話になりました。
夏休みを志賀高原で過ごしていた頃、奥志賀高原にある音楽堂で桐朋学園音楽大学の合宿があり、そこで開催される演奏会に小澤征爾さんがいつもいて、最後にその指揮で合奏がありました。あの時聞いたモーツァルトも忘れないでと思います。