◆物事の二面性
私はクラシック音楽が好きです。コンサートに行くのはワクワクしますが、一緒に行く人というのは限られます。たとえば、コンサートには、「演奏を楽しむ・音楽の本質に触れる」という喜びと、「会場でのマナー」という面倒な側面とがあります。
「マナー」という面倒な側面が、クラシック音楽の敷居を高くしていることは否めません。ドレスコードとか、スマホの扱いとか、お行儀とかですね。
その日の演奏曲が、「ブラームスの交響曲」だとします。演奏会が終わると、「ブラームスの音楽」ではなく、その日の批評が「演奏の完成度や指揮者の解釈」に向かう面もあります。もちろん、それも音楽ですからよいのですが…、そのことが「音楽嫌い」を作ることもあります。
これって、勉強も同じですね(笑)。
◆早期退職生活の二面性
「労働」には、「経済的側面」と「社会貢献的意味」とがあります。
早期退職ができるかどうかは、「経済的側面」によります。
早期退職を決断できるかどうかは、「社会貢献的意味」によります。
「経済的に退職できる状況」になったとして働き続ける人はいます。つまり、早期退職を実行するか否かは、「社会貢献的意味=自己の存在価値・やりがい」などによるのではないでしょうか。
たとえば、週末夕方のテレビで出てくる人たちの多くは、「カフェ経営・農業実践」などで、「社会貢献・自己の存在価値・やりがい」と、経済的側面とを両立しています。
◆早期退職の失敗と後悔とは?
失敗は経済的なものと言えます。つまり、「お金がない」ですね。
生活が成り立たない、生活水準が下がるなどのことです。
後悔は心理的なものと言えます。「自己の存在への疑問」ですね。
「長生きするとして、では何をして過ごすの」「あんなに理不尽なことに耐えつつ社会人として頑張ってきて、何も報われることがない」「いろんな経験をしてきたが、それを活かす場がない、評価されない」とかですね。
また、「働かざる者食うべからず」という価値観が色濃い社会ですから、早期退職のイメージもよいものだけではありません。いやいや…、働いて資金を貯めたから早期退職するんですねけどね…。
というわけで、早期退職生活を悪く言うと、「経済的不安」「世間からの無理解」「孤立感・疎外感」ってことになります。これに、自分の高齢化が重なります。
あんまり良いことないですね。
◆早期退職してよかったと実感する時
つきつめると、現役時代にできなかったことに取り組めている時ですね。
たとえば、心身をいたわる暮らし。
節約・断捨離・ミニマリスト的暮らしの実現で、「所有することのストレス」から解放されることも含みます。
たとえば、学び直し。
独学でもできますが、やはり大学で系統的に学べるのはとてもよいです。市販のハウツー本や専門書でもよいのですが、やはり「大学の教科書・テキスト」や、教授の推薦資料はわかりやすいです。今学問は本当に進化していますから、学び直しがとても新鮮です。
たとえば、何でも時間を気にせずできること。
レポートを書くとき、考えを「無理やりひねり出す」のではなく、「降ってくるまで待てる」というのでしょうかね。「待てる」というのはとても大事ですね。
ちなみに、運転中も「待てる」のでイライラしません。安全運転の実現にもなります。自炊も時間をかけてじっくり煮込むものが中心です。
こういう過ごし方をしていると、気持ちも穏やかになりますね。
というわけで、いろいろ振り返ると、私の場合は「静かな暮らし」ってのが、早期退職の幸福ってことになりそうです。
その場として、信州・松本を選べたのも、よかった…と思います。