55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

「傷つけてもよい人」はいないはずですが…

 道路の雪はだいぶ解けたようです。

 しかし、相変わらず部屋にこもっています。満州移民に関する本を集中的に読んでいます。

 

 満州国建国後、約27万人が「満蒙開拓団」として海を渡りました。

 長野県からは約3万人が移住しています。これは、全国で最も多い数。この背景には、明治日本を支えた養蚕業の衰退もあるようです。長野県に続くのは、宮城県山形県で、それぞれ約1万人が移住しています。

 そして、移住した人には、日本への帰国を果たせた人と、果たせなかった人とに分かれます。ちなみに、宮城県山形県には、満州から帰国した人々が戦後開拓して住み着いた町があります。

 昭和20年8月に、満州国境付近で何があったかをご存じの方は多いと思います。

 たとえばですが…そこでは取引が行われていました。

 日本側は女性を差し出す、そのかわりロシア側は他の日本人に危害を加えないという取引です。そこで選ばれたのは、未婚の女性。そして、こうした取引・話し合いは、村の代表と軍の司令官の間で行われていました。

 選ばれた女性のその後は様々ですが、引き上げ船に乗って帰国できた方もいます。

 ただ、選ばれた女性の中には、帰国後「あの人は差し出された人」と言われ、結婚や就職などに支障をきたす状況に追い込まれた人もいたそうです。

 また、帰国途中で妊娠などがわかることもあります。その場合、おそらくは政府や自治体が用意したと思われるのですが、差し出された女性を専門に収容する施設がありました。その多くは、旅館やホテルなどを転用したもので医師や看護師らが常駐し、女性は個室で暮らしていました。そこで、掻把する場合もありますし、出産してその子供を里子に出すという場合もあったそうです。そして、心身共に落ち着いたところで実家・家族のもとに戻ったそうです。

 

 こうした事実は歴史の中に埋もれていきます。そもそも、当事者が積極的に話すことはありません。それは、こうした施設で働いていた医療関係者も同じでしょう。ただ、これが政府や自治体が用意した公的な事業だった場合、公文書が残ります。そして、後世の歴史家などによって少しずつ事実が明らかになっていきます。

 この件について論点はいろいろありますが、個人的には「女性を差し出した」ということが気になります。

 この取引で、女性を差し出した人、女性を要求した人は、組織のトップに立つ男性です。彼らにとって、未婚の女性は「傷つけてもよい人」なんですね。

 そして、差し出した女性が戻ってくると、今度は「差し出された女性」として傷つけます。彼らにとって未婚女性は「傷付けてもよい人」ですから、その過去を根拠に、どのようにでも弄ぶことができるのです。なぜなら、その過去に対し未婚女性は抗弁することができないから。傷つけられた側が抗弁できないという、そういう価値観が日本社会にあるから。

 

 現代の日本社会でも、未婚女性は「傷つけてもよい対象」になっていないでしょうか。さらに言えば、未婚女性だけでなく「傷つけてもよい対象」が増えていないでしょうか。たとえば、「学校の先生、医療従事者、バスやタクシーの運転手、飲食店の店員」などを傷つけてもよい対象とする言動はないでしょうか。

 ネット上にも、「傷つけてもよい対象」を見つけると、そこに容赦ない攻撃を加えるケースがあります。攻撃の根拠は「正義は我にあり」なんですね。

 

 こうした構造は、特攻隊に「次男が選ばれたこと」とも共通します。長男以外は傷つけてもよい対象なのでしょう。そして、傷つけてもよい対象が生じるのは、戦争という異常な状況だからではないようです。日常の中に、そういう価値観があって、それが戦争・災害・不景気などの状況で表面化するだけのことかもしれません。

 

 そんなことをつらつらと考えているのは、高校生の学習支援や探究教材の作成のためでもあります。先入観によって見えなくなっている社会課題を可視化することを、学びの入り口にするという試み。

 ただ、作る側にも精神的ダメージが大きい…です。