55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

「傷つけてもよい人」はいないはずですが… つづき

                                                   昨日の松本城

 

 満蒙開拓団に関する本を読んでいて、昨日、ちょっとそのことを書きました。

ojisann5560.hatenadiary.com

 

 昨秋、鹿児島の知覧特攻平和会館を訪ねることができました。

 そこで感じたのは、若者に死を前提とした作戦を立案・実行・指令した大人の愚かさです。

 特に、日露戦争から大恐慌以降の日本は明らかにおかしくて…、そのまま日中戦争から太平洋戦争に進む流れは、絶対に繰り返してはいけないことであると感じています。

 この延長線上に、特攻作戦、万歳突撃、ひめゆり部隊をはじめとする沖縄戦の悲劇があるというのが個人的考えです。

 

 さてさて、そういう大人の愚かさ、失敗、陥りやすい誤った発想がどのように世間をミスリードするかを知り、これを繰り返さないことを学ぶことが大切と考えています。

 これは、元行政公務員としての視点でもあるかもしれません。

 しかし、世の中には、特攻隊や満蒙開拓団の帰国を「美談」とする風潮もあります。

 同じことは震災時でもあって、もちろんボランティアの方々と被災した方々の努力と精神力には敬意と感謝しかありません。ただ、こうしたことを「美談」とし震災の象徴とすることで、人災的な部分の検証に進まないことがあります。「傷つけた側」の人間たちは、自分たちにとって都合の悪い事実を「美談」で隠ぺいするんですね。

 特攻作戦を立案・実施した人間は、特攻作戦の参加した若者を讃えて美談にすることで、特攻作戦そのものが持っている本質的な愚かさの追及をかわそうとするのですね。そして、あろうことか、特攻で亡くなった若者が「愚か者」という評価になるケースも少なくありません。これは、特攻を美談としたことの反作用と言えます。そして、勇気ある若者なのか、愚か者なのかという(不毛な)議論が進む間に、立案者・実施者の責任は雲散霧消していくのです。これは、震災の被災者がいじめられたりするケースと同じ構造と言えるでしょう。

 (個人的には、真夏の甲子園やインターハイなども同じ構造と考えています)

 

 自分のチームには、「震災を美談にするな」を唯一の指示としていました。

 もちろん、被災者やボランティアの方々に感謝と敬意を示すことはいうまでもありません。しかし、それを「美談として震災のトピックの中心」とすると、社会課題・人災の部分が見えなくなってしまったり、後世に伝わらなかったりするのです。

 これは、「子ども食堂」も同じ。子ども食堂への支援は行政でも担当しましたが、それを「美談」としてしまうと、「なぜ子ども食堂が必要なのか」という社会課題が見えにくくなってしまうのです。そもそも、「子ども食堂がなくてもよい社会」にしないといけないんはずなんですけど、それを言うと圧力がかかります(以下自粛)。

 

 残念ながらというか、世間様からのニーズは「美談」が多いのです。

 でも、それをトピックの中心としてしまうと「エンターテインメント」になってしまうのですね。映画「タイタニック」は、エンターテインメント作品ですから、美談的要素をストーリーの軸にします。そのことで「悲劇」として昇華されるのです。

 ただ、製作者の真意には「なぜ事故が起きたか…」があったはずです。

 しかし、それだとノンフィクションなので映画にはならないということなのでしょう。そして、美談だけが残ってしまう、創られた美談が事実として定着してしまうのですね。

 

 年寄りの昔話は、しょせん「創られた美談」に過ぎません。

 美しく変形された記憶とその物語なんです。

 その部分を削ぎ落とす、あるいは視点を変えて捉えなおすと、「愚かさ」が見えてきます。そこに課題の本質があると考えています。

 すると、「傷つけられた人」と「傷つけた人」が可視化されます。

 この時、実は自分が「傷つけた側」にいることに気づく人もいます。

 高校生あたりには、「自分は常に傷つけられている」と感じている人も少なくありません。その生徒さんが、実は「自分も傷つける側にいる」ということを認めるまでは、かなり時間がかかります。まぁ、でも、それは、大人でも難しいことですからね。

 

 年始からいろんなことがある今年、美談に隠れている課題をしっかりと見つめていこうと、そんなことを思う今日この頃です。