55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

2024年が始まります

 写真は、安曇野いわさきちひろ美術館に再現されている「トモエ学園」の様子です

 

 とくに感慨もなく、新年の初日を迎えました。

 この後、仕事始めです。〆切は1月5日。

 

 昨年の秋、九州でのお仕事の機会を得て、その際、知覧特攻平和会館を訪問しました。鹿児島ですね。ここの訪問は個人的な宿題でした。

 そこで受けた衝撃と学びは、大きかったです。

 

 現役時代、人口減少社会、ポスト工業社会への適応という大きなテーマが業務の背景にありました。

 歴史を紐解くと、明治維新以降の日本は「客観的事実・都合の悪い情報」をきちんとふまえ、そこから合理的な考察・大きな判断が下されているような気がします。「未来を根拠として考える」「過去の失敗から学ぶ」「客観的事実をふまえて考察する」という知性がある人が、明治日本を作ったと言えます。

 一方、明治の終わりからは少し状況が変わります。日露戦争×ポーツマス条約の際は日比谷で焼き討ちがあり、小村寿太郎の自宅に民衆が押しかけたりしました。大正時代に世界恐慌があり、そのあたりから感情論・ポピュリズムが根拠になっていった…というのが個人的な印象です。そして、領土拡大・太平洋戦争と進み、敗色濃厚となった頃、特別攻撃隊が編成されます。本土決戦が叫ばれ、沖縄戦に突入します。

 知覧から沖縄に飛び立った若者に対し、どこかに「日本の勝利を盲目的に信じていた精神論者」というイメージがあったようです。しかし、知覧でわかったのは、「日本の敗戦を直観的にも論理的にも理解していた知的な若者」であったことです。

 逆説的ですが、彼らは「未来を根拠に考えることができたから、そこに自分の命を価値を見出し、飛び立つことを決意できた」のではないかと思いました。ただ、彼らの決意の背景には、そういう風に考えさせた価値観があります。子供は我慢しろ、若者は贅沢するなですね。残念なことですが、そういう価値観は令和の日本にも根強く残っており、教育予算はなかなか増えません。

 それは、自治体の職員か議会かに「未来を根拠に考える知性」「客観的事実をふまえて考察する論理的思考力」が欠けているからと言えるでしょう。

 早期退職して、「未来を根拠に考えることができない人」「過去の個人的成功体験を根拠とした主観的発想を押し付けてくる人」「既得権を守ろうとして利益誘導をしようとする人」から離れたことは、心身の健康回復にとても有効でした。一方で、「希望ある未来の構築」を手放したことには心残りもありました。

 

 知覧特攻平和会館で学んだのは、やはり「若者にとって希望のある未来の構築」を手放してはいけないのではないかという思い。まず、昭和・平成の「成功体験」に内在する「負の遺産」の可視化から進めてみようか…。

 今「学生」なので、学問として整理することや、「高校生の探究学習」「企業研修」のお仕事を受けていますので、この中で活かすことができそうです。

 そんなことを、裏テーマとして、大学生活とお仕事とに取り組んでいこうかと思います。半径3m以内でできること限定で、少しずつ。

 

 そんな新年、今年もよろしくお願いします。