55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

震災から一週間経過して思い出すことなど

 

 今日で一週間経過しました。

 東日本大震災は金曜日に起きたのですが、翌週の土日は雪でした。

 一週間経過すると、少しずつ流通が回復し物資が入り始めます。当時私が住んでいた仙台市内の個人商店は、店主が手を尽くして食料品を並べ始めました。

 被災地では、交通の便が良く、自衛隊の支援拠点となるような大きな避難所(学校など)に物資が届きます。問題は、まずすべての物資が「大きな避難所」に届くため、その仕分けや整理が追い付かないこと。そして、大きな避難所の先にある「支援物資がまた届いていない奥地の避難所・孤立している避難所」に届ける方法がないこと。車がない、ガソリンがない、そもそも物資の仕分けが追い付かないので準備ができない…です。最悪、届いた物資があまるのです。

 これは私の経験ですが、こういう時助けてくれたのは、子供たちでした。高校生が指示を出して小学生・中学生を束ね、仕分け・整理・運搬・梱包をしてくれました。また、避難所内で動けない(あるいは動く気力もない)お年寄りに食べ物を届けたり、足をさすってあげたり、話し相手になってくれる子供たちも多かったです。

 そういう姿を見た大人の中から運営リーダーが出てきて自主運営体制に進むことも多かったです。このようなケースでは「モンスター被災者」は生まれにくかったですね。また、マスコミ取材も少なかったです。なぜなら、「マスコミや視聴者が求めるような悲劇・対立・課題などのネガティブストーリー」がないから。

 

 これも私の経験ですが、この時困ったのは「自分の食べ物」です。

 震災の二日後、現地に入った私は、被災地の情報収集と支援に仙台からやってきた公務員という立場になります。避難所で配給される食糧は「避難者のもの」です。毛布なども同じ。というわけで「現地の被災者・避難者ではない私」には何もない。ま、これは公務員なら仕方ないでしょう。

 ただ、たとえば学校が避難所になっている場合、その避難所の運営や食べ物の配給をしているその学校の先生にも、「あなたたちは避難者じゃないから」という理由で食べ物が与えられないですね。つまり、届いた食料を積み下ろし、整理し、配った先生方が「食べてはいけない」んです。そういうことを言う大人がいたんですね。

 運営をしている先生方にも、自宅が被災し家族がその避難所にいる方もいます。この場合、「家族は被災者だから食べていいけど、先生は被災者じゃないから配給の対象ではない」そうです。

 「避難所に届いた物資や食料は、その避難所に避難している人のもの」というのはそのとおりかもしれません。ただ、この発想を厳密に適応すると、「自宅避難者」「公的な避難所以外に避難している人(いわゆる自主避難所)」には物資が届きません。そういう人が「近所の避難所で食料の配給、炊き出し、自衛隊による入浴があるらしい」という情報を得て避難所に行っても門前払いなのです。

 というわけで、「学校・文化施設などに勤務し、そこが避難所となって以降、運営を担当している公務員」「津波地震で半壊状態となった自宅や店舗で寝泊まりしている被災者」「障害などがあって避難所の共同生活が難しい被災者とその家族」には、食料・物資が届かないんですね。目の前にあっても、もらえないんです。あまっているの配らないんです。

 当時、被災地にたくさんの芸能人がお見えになり、そこで大きな炊き出しをしていただきました。それはとても感謝しています。しかし、「避難所で炊き出し」をした場合、その避難所の人しか食べれないんですね。ただ、マスコミも帯同しての大きな炊き出しは、やはり避難所で行うしかありません…。

 そこで、マスコミを帯同しない炊き出し、善意の市民からの申し出による炊き出しは、役場の駐車場など「オープンな場所」で行ってもらうようにしてもらいました。いわゆる「自宅避難者・自主避難所」の人でも支援を受けれるためです。また、運営で疲弊している役場職員・学校の先生方の分を少しとっておいてもらい、一般の方が去ったあと、こっそりカレーを食べるということもしました。自衛隊の方が食事をしている姿を見て非難する人が出てきたからです。

 

 公務員で自宅避難者だった私には、人に配る分の食料はあっても、自分の分はなかったです。少し時間が経つとスーパーが営業を始めるのですが、営業時間は午前10時から午後4時頃まで。その時間は「勤務時間」なので買出しもできません。

 ただ、これもあくまで個人的な体験ですが、非常時には身体も非常対応になるのかもしれません。食欲があまり湧きませんでしたし(食べれないというわけではありません。食べなくても大丈夫でした)、トイレも一日1~2回でした(まぁ、食べてないですからね)。それで被災地を走り回り、気仙沼石巻と仙台とを往復していたのは、元気だったからでしょうか…。

 

 そろそろ「市民による避難所の自主運営」「現地で業務をしている職員の食事」「自宅避難者・自主避難所に物資を届けること」が重要になってくるフェーズになると思います。また、これから共通テストや、2月からの一般入試の出願もあります。受験会場までの移動手段や、ネット出願が可能な状況の構築を祈っています。