55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

大きな災害に襲われてしまったら(防災のことなど)

 

高校の先生から連絡があって

 防災をテーマに探究学習を進めている生徒と話をしてほしいとのこと。

 先週土曜日の午後、リモートで2時間ほど。

 お話をするというよりも、お話を聞くですが、いろいろ考えることがありました。

 すると、地震もあったり、ミサイルが飛んだりという週の始まりです。

 

もし東日本大震災クラスのことが松本で起きたら…

 長野は「海なし県」ですから津波はないです。

 ただし、山津波の可能性はあります。市街地の我が家で「直撃」はないと思いますが、周辺にそういうことがあれば、ライフラインの途絶、避難所開設となるでしょう。

 市内には湧き水があります。地震後も水が出るかどうかという素朴な疑問は残りますが、水が出れば、長蛇の列になるでしょう。

 結論としては、私は松本を脱出して、被害のない地域に行きます。

 

被災現場から離れることができるなら、その方がよい

 たとえば、避難所に行けば、食事などの提供を受けることができます。でも、私の場合は、松本に居続ける必要性はありません。家族や仕事があるわけではないですし、車がありますからどこにでも行ける。逆説的ですが、ガソリンとwifiのある地域に移動した方が、車もお仕事も活かせる。

 そもそも、災害時に公共の支援を頼らないと生きていけないわけではありません。短期間であれば、自力で生活が可能です。現場を離れることで、避難所の運営・支援をする人の負担を少しでも減らしたいと思いますし、私が食べる分を他の人にまわしてほしいと思います。

 考えているのは、ライフラインが復旧するまでは遠くに避難して、復旧したら、自分用の食料や、現場で必要になりそうなものをどっさり買い込み、車に積んで戻るということ。

 

では、どこに行くか…

 手段は自家用車。震災経験後、ガソリンは常に半分以上をキープしています。

 問題は道路の状況。高速道路はおそらく閉鎖。国道のトンネル・架橋もダメでしょう。となると、ルートは大きくこんな感じ。

 1,白馬を経由して糸魚川に抜ける(日本海方面)

 2,塩尻を経由して山梨に抜ける(東京方面)

 3,塩尻を経由して名古屋に抜ける(名古屋方面)

 4,長野市を経由して新潟に抜ける(新潟方面)

 迂回ルートとしては、諏訪から佐久方面へ抜ける、長野に向かう途中で白馬に進むなどがあります。通行止めが生じるでしょうから、迂回も考えないとですね。

 で、使えるルートでたどり着いた先で、ビジネスホテル生活という心づもり。

 

避難の一つの選択肢として…

 被災状況や事情によりますから、県外に出てしまうことが可能か不可能か、正解か不正解かは人によって異なると思います。また、親戚を頼って県外に自主避難した人に対し、「逃げた」という心無い言葉を浴びせる人がいたことも事実です。

 私も、片付けや避難所運営のお手伝いができればとも思いますが、たぶん無理です。12年前、東日本を経験していますが、もう一度、あの経験をしたら自分が壊れます。まず、現場を離れて気持ちを落ち着け、ライフライン復旧を待って支援物資を持って松本に戻る。松本に戻ったら、私の車を「地域の足・タクシー」にしてもらって、通院や買い物のお手伝いをする。

 そんなことを考えています。

 

 災害復興には時間がかかります。

 「その時」よりも、「その後」に貢献できればと思う今日この頃。

 「防災」「防災教育」も、「その時」と「その後」との二段階で考えた方がよいかもねというのが、高校生に伝えたことです。