55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

嘘も取り繕いもなく

 嘘も取り繕いもなく、自分の真実をひたむきに貫いて生きるなら、確かに群れの中で疎外されるだろうが、そのような人間がそれでもなお絶望することなく、何らかの活動領域において生き直す力を獲得するか、個性的な活路を見出すならば、その人の人生は極めて積極的なものとなるだろう。
                    (柳田邦男「言葉が立ち上がる時」より)
 
 という言葉がありまして、私は「疎外された」時、絶望するだけで生き直す力も獲得できませんでしたが、「嘘も取り繕いもなく」という言葉だけは心にとどめるようにしていました。
 ま、「嘘も取り繕いもない」ということが、疎外される原因だったりするわけですけどね…。特に、目上の人から疎外された時、周囲からは「もう少し大人になれ、根回しをしろ、相手をおだてろ」みたいなご助言をいただくことも多かったのです。
 一応、根回しは結構きちんとやっていました。バブル期の民間育ちですから、根回し×仕事をスムーズにゲットするという昭和の商習慣は認識しています。「聞いてない」というだけで反対するようなタイプの人への対応も含めて。
 
 ただ、職場で年齢が上になってくると、「噓も取り繕いもなく」を貫くには、知識と教養、折れない心と強靭な体力が必要なことを実感しました。「折れた心と壊れかけた内臓」で真実を貫くのは、結構困難でした。子供たちの不登校や大人の転職には「嘘も取り繕いもなく、その人なりの真実を貫いたこと」が要因の人もいるのではないでしょうか。
 
 振り返ると、嘘も取り繕いものなく生きてきたかというと、断言はできないです…。ただ、嘘や取り繕いをするよりは、正直でいたい、自由に生きたいと思う人間にとって「早期退職×自然との距離が近い地方都市への移住」「人間関係の断捨離」という今の暮らしは「個性的な活路」なのかもしれません。そのことで「嘘も取り繕いもない老後」を送れるのならば、それはとても幸せなことなのかも思う今日この頃。
 
 2024年は、騒がしい始まりとなりました。
 そんな世間を見て、冒頭の言葉が浮かびました。
 本厄の今年、「嘘も取り繕いもなく」を年間目標にと思います。