昭和の表現に「歩く失礼」、平成の言葉に「歩くパワハラ」という喩えがありました。存在をこのように表現することは、「令和」ではタブーだと思いますが…。
◆一定年齢を超えると、存在がハラスメントになることもある
私自身も振り返ると、危なかったことがあります。
「出世×役職」を持っている人は、「立場上」という言葉で許容されることもあります。しかし、私のように、出世を望まず、役職がない人間は、あぶないです。
立場がないので、その人そのもの=存在が評価対象になります。そういうことです。
◆若手時代の思い出
OJT全盛の時代です。
周囲は、年齢の近い先輩社員と組むことが多かったのですが、私はなぜか、年齢の離れた上司と組むことが多かったのです。
後からわかったことですが、いわゆるパワハラ上司でした(笑)。仕事は抜群にできるけど、部下が壊れていくという…、典型的な昭和の猛烈社員です。そういう人に当てられるのは、私の日頃の行いが…なのでしょう。
ただし、当時の私はそんなことは知りません。周囲から憐れみと励ましを受けつつの日々でした。
◆パワハラ上司から学んだこと
確かにパワハラの気はありました。今では許されないでしょう。
一方で「仕事が抜群にできる」という意味では、学ぶことが多かったです。
私も変に古い価値観があって、上司より先に出勤するようにはしていました(帰宅は自分のペースでしたが)。ある上司(Aさんとしましょう)は、私がどんなに早く出社しても、すでにデスクに座り、煙草を吸いながら、あらゆる新聞に目を通していました。ニューヨークタイムズも読んでましたね。これがAさんのルーティン。
新米の私は、掃除、お湯作り、そしてコーヒーを淹れてAさんに届けていました。
2週間くらいそんな日が続くと、「○○についてどう思う」と質問されるようになりました。たまたま、出勤途中で読んだ記事の内容でしたので、何となく説明と、自分のコメントを伝えることができました。
そこから、ちょっと扱いが変わってきました。
◆雑用から、かばん持ちになる
上司の出席する会議に同席するようになりました。
社内会議ですが、そこで記録係です。終わって口頭試問がありましたけど。
やがて、夜の接待にも同行するようになりました。
銀座・神楽坂・六本木などですね。いわゆる「料亭」とか「会員制クラブ」とかです。バブルだったんです
予約・タクシー手配が主な任務ですが、おかげで、料亭のルール、接待のマナー、女将のご機嫌を伺うにはどうしたらよいか、ママさんやホステスさんに接待の協力をお願いする方法なども知ることができました。
現代の価値観では考えられないことですが、ビジネスが「利益」「出世」ではなく、人と人との「信頼」「社会的使命感」で成立していた時代。
「信頼と使命感でビジネスを進める」ためには、「銀座と料亭での付き合いが必要」という「逆説」がそこにはありました。「接待費=会社の金で飲食」していたのは事実ですが、不正や利権はなかったです。
◆仕事の進め方を学ぶようになる
マーケティング・根回し・会議の進め方・稟議の準備・情報の集め方=人脈の作り方などを、まだ誰もいない朝の職場や、接待終了後の3次会で、口頭試問しつつ伝えてくれました。
人脈や情報については、共有したものもあります。これは、後々まで効きました。
◆確かに怖い上司でした
口頭試問で答えられない時、自分のコメントがない時の恐怖感は今でも覚えています。しかし、わからない時、できない時、失敗が予想されそうな時、「Aさんならどうしますか」と質問すれば、とても親切に教えてくれました。
教えることができるのは、Aさんの実力の証明。時には、人も紹介してくれました。これは、料亭の女将さんやクラブのママさんにも共通する法則。
失敗すると、身もふたもなく叱責される時代です。Aさんもそう。
しかし、Aさんの場合、失敗を責めているのではく、その前に助けを求めないことでした。そこに気付けば、パワハラ上司ではないんですね。
◆令和ではダメです
私とAさんの間では、早朝の勉強会も、深夜に及ぶ接待も、ハラスメントではありませんでした。ただ、現代の価値観ではダメでしょう。
そんなわけで、私がAさんから学んだことの多くは、タブーに分類されるようになりました。タブーに気付くことがなければ、私は「歩くパワハラ」だったと思います。
そして「勤務時間内でビジネスを成立させるには」という疑問から、チーム作りやコーチングを学び始めた…という物語でした。自己満足ですいません。
現代の価値観への転換ができず、古いビジネス作法で仕事を進める同世代の中には、存在がパワハラになっている人がいるかもしれないと思う今日この頃です。
