55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

早期退職した理由は その10

 

 「清濁併せ吞む」という言葉と、「面従腹背」という言葉があります。

 人間としての器は「清濁併せ吞む人」の方が大きいと言えるでしょう。そして、今の世の中で成功する人、出世する人、結果を出せる人は、「清濁併せ吞む型」だと思います。

 ちなみに、公務員時代後半の私は「面従腹背型」でした。

 「濁」に巻き込まれるのは嫌で、もちろん業務命令にはきちんと従っていましたが、その周辺で蠢く「濁」からは、距離を置いていました。

 歴史を紐解けば学べることでしたが…、キリシタン大名の一人「小西行長」は、キリスト教の教えを守り信者を保護しつつ、禁教令を出した豊臣秀吉に仕えていました。その人生は、関ヶ原の敗戦・京都賽の河原での処刑で幕を閉じます。

 「濁」を拒否して地位を捨てたのは「高山右近」。自分の信念を貫き、今風に言えば「早期退職した」と言えるでしょう。そして、キリスト教徒として生涯を終えます。

 

 戦国時代で名を残した人は「清濁併せ吞む型」と言えるでしょう。

 特に、ある程度の年齢になると、こういう生き方を求められると言えます。

 「清濁併せ吞む」という言葉を言い換えると、「寛容性・受容性」が近いかもしれません。当時の私には、これが欠けていました。「面従腹背思考」には、若気の至り的な「尖り」があります。そもそも、自己の中に矛盾を抱えるわけで、そのことが周囲との人間関係や自分の心を閉ざしていたとも言えます。

 「濁」はちょっと…と拒否するのではなく、道徳観・倫理観をふまえた上での「寛容性・受容性」のある人間であれば、私の人生はもう少し違ったものだったかもしれませ。でも、「清濁併せては吞めない」が私の人間性と能力の限界です。そういう人間が、能力以上のポジションに就いたということでしょう。世間的に言えば、「ご期待に沿えず申し訳ありません」です。

 

 ちなみに、私の主業務である「未来を根拠とした社会課題解決のプロジェクト」は、参加してくれたメンバーや、共同事業者のおかげで順調でした。

 少し工夫したのは、各プロジェクトのリーダーを集めてのミーティング。

 定期的にリーダーに集まってもらっての情報共有ですね。特に話題はなくても定期的に行ったのは、いわゆる「ワイガヤ」から生まれるものを活かすことが目的でした。ただ、やはりリーダーに対する負担であることは変わりません。

 そこで、プロジェクト全体を運営するチームを作りました。

 メンバーはそれぞれのプロジェクトにファシリテーターとして参加します。たとえば、大学や企業との合同会議がある際は、その会議の司会を務めます。また、プロジェクトがうまく進まない時、その原因を「組織論」の考え方で分析し、解決をサポートします。つまり、「人の責任」にするのではなく、「組織や方法のどこかに問題ある・それを改善する」ということ。これは、それぞれのプロジェクトの内容とは関係のないものです。しかし、組織・チームの型を整えることで、「楽しく、しかも結果の出る環境」を作ることを進める運営チームは、実はプロジェクトの心臓部であり、そこから生まれるチーム運営についての学びという副産物は、とても大きなものでした。

 

 そんなわけで、「メンバーによって公転・自転するチーム」に自然となっていきました。50歳以上は何もしないことが最大の貢献。そのことがリーダーへの過剰な負担を防ぎ、業務に対するチーム全体の業務への集中を高めるんですね。

 そうことを、若い同僚に実現してもらいました。満足です。

 また、私の周囲には50歳前後の転職者・退職者が少なくありませんでした。同じ年齢・立場になってみると、その人たちがなぜ公務員という仕事を手放したのか、何となくわかる部分もあります。

 「潮時」なんだなと思いました。

 

                      つづく