公務員時代、多忙時の合言葉は、「倒れるなら職場で」でした。
自宅で倒れると「病気」ですが、職場でなら「労災」(笑)。
私の場合、職場で、しかも上司の(理不尽な)叱責を受けている途中に救急車で搬送されたわけで、一応監察官のような方からの事情聴取があったりとか、私の実質的な勤務時間・勤務実態などが調査されたりとか、ちょっと体験できないようなこともありました。
「潮時」という言葉が浮かんで、内々ですが所属長に退職の相談をしました。退職を希望した場合、いつ退職できるかです。選択肢としては3つ、「いますぐ」「年末」「年度末」。
担当業務の引継ぎや退職金の扱い(勧奨退職による増額)などを勘案すると、年度末がベスト。ただし、半年先。その間、陰謀好きな方々の攻撃にさらされるのはしんどいな…と思いました。また、辞めるならそのことを悟られないようにとも考えていました。それは、担当プロジェクトだけは守っておきたいからです。
さてさて、当時の私は52歳、年度末には53歳になります。
試算してもらった退職金と準備してきた退職資金とを足せば、早期退職は不可能ではありません。ただし、そうとう切り詰めた生活になります。
当時の私は賃貸生活ですから、まず住まいの問題が大きいです。また、年金は60歳から受給しないと厳しいでしょう。53歳から65歳まで12年間無収入ではさすがに厳しすぎます。ただ、60歳の年金受給額だとその先で老後破産の可能性が高いです。そんなこんなで当時考えていた早期退職生活プランはこんなものでした。
1.早期退職生活における初期投資を最低限に抑える
越後湯沢に引っ越すプランです。コロナ禍で価格は上がりましたが、当時は負動産といわれ、300万円も出せばタワーマンションが買えました。
また、岩手県のリゾートホテルの一室を購入することも検討しました。
ミニキッチン付きの定住可能な部屋があって、これは200~400万円。年間管理経費が20~30万円かかるのですが、これには「水道光熱費」が含まれています。ホテルの一室ですから、清掃・ベッドメイク・冷暖房・インターネット・駐車場・温泉完備でこのお値段は、マンション暮らしより維持費が安い。
2.妻に養ってもらう
さすがに妻も私の体調を心配してくれて、仕事辞めるならうちに住んでいいよと言ってくれました。主夫待遇なので敷金礼金は免除(笑)。
当時、最も現実的なプランでした。
3.実家に戻る
都内の実家には、父が一人で暮らしていました。
ヘルパーさんの力を借りながら、軽度の認知症でもなんとか暮らしています。
そこで暮らす…老々介護ですね。文字通り8050問題です。
早期退職を実行しようとした時、持ち家か賃貸か…というのは大きいですね。
賃貸の場合、「退職=無職」になっていると更新できないこともあります。
そして、住まいの確保は、賃貸の継続でも購入でも、いずれ引っ越しを伴う大きな初期投資が必要です。この時ばかりは、仙台時代のマンションを手放してしまったことを少し後悔しました。この時の売却で得たお金は使わずに貯めています。ただ、このお金を新しい住まいの購入で使い切ってしまうと、その後の生活費が厳しいです。
つまり、仙台のマンションの売却で得たお金も、年金受給までの生活費にしないといけないというのが53歳で早期退職の資金的現実。うむ…。
長年準備をしてきたつもりですが、いざ実行となると、その時になってわかる現実、出てくる問題があって、なかなか悩ましいです。
つづく…