このテーマ、長くなって申し訳ないです。こんなに長くなるとは思わなかったのですが…。イギリス留学から帰国した漱石は、帝国大学などで「英語の先生」をしつつ、「吾輩は猫である」を書き始めます。
その頃の心境を、「とにかく物を書いていると精神が安定する」と言ったとか。
私も、今まで思い出したくなかったことなのですが、それを書いていると落ち着きます。過去の消化にやっと取り掛かれたようです。
ある日のこと、机に戻ると上司が呼びます。お小言です。
その頃、いろいろな人が私的に行っている勉強会などに呼ばれることが増えました。
そもそも「私的な勉強会」で、かつ「朝ごはん食べながら」「夜の会議室」「夕食を兼ねて」というものですから、これは「勤務時間外・業務外」なのですが…。
そこでの私の態度がよくない…という苦情が上司に入るのです。上司の依頼で参加したものもありますし。ただ、こういう勉強会の中には、「魑魅魍魎蠢くヤバい世界」の入り口と言えるものもあります。そこに巻き込まれないようにはしていました。
うっかり巻き込まれた場合、私は「トカゲのしっぽ」「鉄砲玉」になるわけで、でもそれを乗り越えてみんな偉くなるんだと上司は言いますが、私は嫌です。そもそも偉くなることを希望していません。公務員をやめることは構いませんが、辞めさせられることは嫌です。私が「切られたトカゲのしっぽ」となれば、妻の社会的立場に影響がありますし、娘の未来にも影をもたらすでしょう。娘が日本で就職しようとした時、ネットで検索されれば…です。
というわけで、お小言の時間、表面的には従順な態度を示しつつ、いつものように心の中では別なことを考えていました。ただ、その日は結構忙しかったのです。
「上司の声が聞こえにくいな」という記憶があって、その次の記憶は病院の処置室でした。私自身には全く記憶がないのですが、私はその場で倒れ、救急車で病院に運ばれたとのことでした。
診断は、脳貧血と突発性難聴。そのまま入院と筆談生活となりました。
さて、そうなるともう少し身近なところで別な魑魅魍魎が蠢き始めます。
「倒れる・健康上の問題を抱える」ということは「脱落」を意味します。
私はそういうルートに乗る人間ではないのですが、現在のポジションについては、「自分がなりたい、自分がなるはずだった、あいつがなるのはおかしい」と言われることがありました。そういう人たちにとっては、「自分がなるチャンス到来」ということだそうです(しらんがな)。
1週間ほどお休みして職場復帰すると、何とも微妙な空気を感じます。
私は再起不能と言われていたそうです。で、次は誰だ…という噂をしていたところで、私が「ご迷惑をおかけしました~」と戻ってきたということ。その他、根も葉もないことが事実として伝わってもいました。
どうも、トカゲのしっぽになっているようです。
一方で、昔の上司、プロジェクトを一緒に進めている方々、プロジェクトの情報提供をしている他部署の方々には守ってもらいました。
ただ、そんな状況になって、「潮時」という言葉が自然と浮かびました。
倒れたのは天のお告げかもしれません。
つづく…