早期退職するぞと考え、具体的な準備を始めたのは40歳頃です。
とはいえ、娘はまだ学生でしたから、すぐやめることはできません。基本線は、「定年前に仕事からは離れる」です。年齢的には55歳頃を想定していました。
本日のテーマは、40歳頃、何があったのか…。
一言で言えば、「仕事へのモチベーションが上がらなくなった」ですね。
モチベーションが上がらなくなると、お仕事が苦痛になります。
昭和生まれですから、「苦痛に耐えるのもお仕事のうち」という価値観で、何とか日々を過ごしていましたが、このままでは自分がつぶれるという感覚はありました。
もう若手ではありません。
しかるべき立場と責任とを抱え、いろいろな忖度にまみれつつお仕事を進めるようになる年齢ですね。ここで「出世」をモチベーションにできるとよかったのでしょうが、私にはそういう発想がありません。でも、「出世したいんでしょ」と言われ、そのための通過儀礼的お仕事を担当させられるのは、とてもしんどかったです。
通過儀礼的お仕事は、要するに「弾除け」。
上司でも、議員さんでも、地域の人でも、「私は反対した」という立場を示さないと都合の悪い人っているんですね。そうしないと次の選挙で当選できないとか…。
そういう時、40歳という年齢や、異動でやってきた地元ではない人間は便利です。ちなみに当時、このような働きを「組織の潤滑油」と言いました。
たとえば、小中学校の統廃合などを進める時はもめます。反対意見は強いです。それは理解できます。でも、その根源にあるのは「隣町同士の不仲」なんですね。
「(隣町)には負けたくない」です。
というわけで、私が直撃弾を浴びます。「業務」と割り切っていましたし、根回しを進める中で落としどころへのシナリオも見えていましたから、一応その場では平静を装っていました。しかし、それなりにダメージがあったようで、少し心が病んできました。
結論から言えば、「心の弱い奴」という評価をいただき、無事出世への道は閉ざされました。また学校の統合も進みました。でも、手元に残ったのは虚しさと飲み薬でした。この状態で定年まで働き続けることは難しい…というのが当時の心境です。
一方で、「いつか早期退職しよう」と決めると、心身が楽になってきました。早期退職することが仕事へのモチベーションとなったようです。そのための具体的行動をすることがストレス解消となり、断捨離と貯金が進みました。
私の人生は、逆説でできているようです。
(続く)