55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

ぐうたら生活のススメ

 

 早期退職後の暮らしのモチベーションって何でしょうか?

 明治維新以降の日本では、「立身出世」という価値観が根強くありました。

 「末は博士か大臣か」ですね。

 「よい大学(偏差値の高い大学・知名度の高い大学・地元の国公立大学)」がモチベーションであり、これが「大企業・有名企業への就職(安定・出世・高所得)」に続きます。

 貧困・格差・差別の中で暮らした人、近くで見てきた人の中には、公平な社会・理想の国家の実現を目指す活動に参加する人もいました。この中には富裕層・特権階級に所属する人が、その罪悪感から社会活動に参加するパターンもあります。

 とはいえ、現実的には、家族のため、生活のためですね。

 一族・親の期待を実現する、あるいは食っていくことが学ぶこと・働くことのモチベーションと言えたでしょう。これが現実。

 

 このような社会背景の中で「早期退職×働かない暮らし」を目指すことは、精神的にかなりタフなことと言えるでしょう。私自身、早期退職をした時は周囲から「ヒマじゃない? 何するの?」と非難のニュアンスをこめて言われました。羨望の気持ちを伝えつつ「こいつは碌な死に方をしないだろう、きっと飢え死にするだろう」という気持ちが透けて見える言葉もいただきました。

 

 実際、早期退職して気持ちが落ち着くまでは年単位の時間がかかりました。

 その間、何がモチベーションだったかですね…。

 やはり「主夫の暮らし」が楽しかったです。家事一般だけでなく、組織に所属した時は事務がやってくれた社会的手続きを自分で進めていくのもいろいろ勉強になりました。断捨離・節約・清掃・料理・買い物にはそれぞれテクニックがあります。そういうことを先達から学びながら実践するのは結構楽しいです。

 

 で、今日のテーマは、落ち着いてくる過程で見えてきた「孤独な暮らしの快適さ」です。

 現役時代の人間関係は「仕事上の利害関係と価値観の相違」に満ちています。早期退職すると、こういうものから離れることができます。するときれいにストレスがなくなります。「孤独な暮らし」には、人間関係を起因とするストレスがないのです。

(一方で、学生時代の人間関係が復活してきます。人間関係の断捨離をしても、「利害関係のない仲間」との関係性は残るのですね。こちらにはストレスがありません)

 「ストレスのない孤独な暮らし」の継続が、早期退職後の暮らしのモチベーションと言えます。職業上の使命感とか、年齢相応の役割とか、立場的な発想とか、そういう「自己の本質と異なる価値観」を気にしなくてよいのはとても楽。

 現役時代、私の人事的評価は、使命感や向上心がない、社会人として未熟というものでした。仕事の価値観によって自分の本質が破壊され、自滅したこともあります。

 早期退職した現在、自分の本質のままに暮らせています。好きな本を読み、ブラームスを聞き、支出の削減に励んでいます。眠くなったら寝て、お腹が減ったら食べ、汚れが気になったら掃除しています。

 

 作家遠藤周作キリスト教をテーマとしたシリアスな小説を書く一方で、狐狸庵先生を自称し「ぐうたら生活」を推奨していました。ぐうたら生活とは、世間の価値観に左右されず、自己の本質を大切にする暮らしではないかと思います。これは夏目漱石の「自己本位」「高等遊民」とも共通する概念と言えるでしょう。

 

 早期退職したら、あるいは心身の調子を崩して引きこもり系の時間を過ごすことになったら、「世間の価値観から距離を置くこと」「自己の本質を大切にするぐうたら生活を送ること」が日々のモチベーションになるのではないかと思う今日この頃。

 ウェルビーイングの日本語訳は、幸福よりも、「高等遊民」「ぐうたら生活」の方が近いような気がします。