◆早期退職したらやりたいと思っていたことで、今諦めつつあること
早期退職前は、自家用車でのんびり日本一周と思っていました。
そのために、軽ではなく、普通の自家用車を選びました。車中泊もやってみたいと思っていました。しかし、今は、完全に諦めています。
快適な車中泊にはそれなりの準備・装備が必要なんですね。その費用があれば、ホテルに泊まった方がよさそう。何より、体力や運転技術の低下を感じます。毎日ロングドライブに危険な予感がするようになりました。
というわけで、こちらは諦めモード。
そして、自家用車生活も、65歳で終了と考えています。
◆イメージと実態との乖離
お仕事の関係で、医療訴訟の事例を集めています。
そこで見えてくるのは、現場の実態と法律との乖離。たとえば、民法には、明治時代の大家族制度が前提となっていると読み取れる条文があります。親が老いたら、「家族が面倒を見る」という価値観ですね。
実際の事例もあります。認知症で徘徊した方が事故の加害者となる。しかし認知症なので本人の責任能力は問えない。この場合、面倒を見ていた家族が加害責任・賠償金の支払い義務を負うのです。
つまり、「認知症になったら徘徊の可能性はある。しかし、介護する家族がその対策や注意を怠った」で有罪になるのです。法的にはそのとおりですが、認知症の実態にはあわない…です。
この事例は、一審では法律的な考えが優先され、介護をしていた家族が有罪となりました。その後の最高裁判決では、「認知症・介護の実態」が考慮され、ご家族は無罪になりました。これはこれで、よかったと思います。
ただ、被害者は…複雑とも思います。難しいです。
◆早期退職生活の実態も
早期退職してみると、お金のこと、暮らしのこと、再就職のことなど、不安は続きます。その多くは、イメージと実態との乖離なんですね。
政府は「長く働くこと」を進めています。
で、早期退職というのは、「長く働く社会をつくる」という政府方針に逆らうことです。つまり、社会制度的には、早期退職すると不利なこと、お金がかかることが増えていくと個人的には考えています。
早期退職には、「資金を貯めること」「投資・副業などで収入を確保すること」がイメージとしてありますが、実態としては「生活サイズの縮小」「年金支給額で暮らせる生活の確立」の方が重要な気がします。
◆イメージと異なる事実は否定・攻撃されやすい
という気もします。
早期退職3年目で暮らしと気持ちとがやっと落ち着いてきました。
それは、「収入を得たこと」よりも、「支出が減ったこと」によると思っています。
ビンボー生活の確立ですね。で、ビンボー生活が進むほど、
「読書量が増える(図書館の利用・無料)」
「四季の変化を楽しむことができる(景色を見るのは無料)」
「おいしいものを食べる(漬物を自分で作ると買うより安い)」
という状況も進みます。とどのつまり、私のビンボー生活とは、「貨幣を対価としない暮らし」です。これが実態。で、ここに、今の私の暮らしの楽しみと幸福とがあるようです。
イメージの実現よりも、実態にあわせることで、やっと心身の落ち着きを実感できるようになりました。ここまで3年か…。
というわけで、2月最後の今日は、これから「通院×図書館×原稿提出」です。
ぼちぼちやります。