55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

松本で見つけた戦争の記録

 

 特攻隊を題材とした映画が公開されるようですね。

 特攻隊員は、基地の外の旅館などで暮らす時間があったそうです。そこで出会った男女が…というストーリーのようです。ポイントは、その女性が現代からタイムスリップしてらしいです。

 個人的には、戦争推進派の現代の政治家さんがタイムスリップして特攻攻撃の司令官になる(もちろん、現代から来ているので日本が戦争に負けることを知っている)、あるいは特攻隊員になる(以下同文)とどのようなストーリーになるかとか妄想します。

 

 1945年4月から沖縄戦が始まりました。これにあわせ、鹿児島の基地(知覧など)に全国から特攻隊員が集められます。当然、各地から鹿児島まで「直行」は無理。知覧飛行場に行く前の補給基地の一つが、「松本飛行場」(現在の信州まつもと空港のあった場所)だったそうです。

 特攻隊員は松本に集まり、ここで部隊編成され、浅間温泉に宿泊しながら補給・訓練を受けてから知覧に飛び立ちます。松本から飛び立つと、南北アルプス山脈と富士山が見えたはずです。春ですから山頂周辺には雪が積もっていたでしょう。また、3月末以降の松本市内は桜が美しい季節でもあります。特攻隊員の方々が最後に見た富士山は、松本上空からだったのかもしれません。

 

 そんなことを知ったのは最近。

 きっかけは、あるお寺にあったお墓に刻まれた墓誌

 そこには、「太平洋戦争で海軍飛行隊に所属し、昭和20年4月知覧飛行場から飛び立ち沖縄沖で没」という文章が刻まれていました。その方とは、秋に訪問した知覧特攻平和会館でお会いできました。

 

 他にも、「日露戦争で海軍に所属し、水雷戦隊の一員として旅順港攻撃に参加して戦死」「太平洋戦争で陸軍に所属し南方戦線に参加し、トラック島の陸軍病院で病没(昭和20年9月5日)」などもありました(ご冥福を祈ります)。

 

 松本にあった陸軍歩兵50連隊(現在の信州大学周辺に部隊があった)は、山岳・寒冷地訓練を受けた専門性の高い部隊でした。ここで編成された部隊は満州方面に派遣されています。一方、戦争末期には南方戦線へも投入されています。市内にシベリア抑留と南方戦線の記録が残っているのは、そういう背景からかもしれません(このあたりは、来年少し掘り下げて調べてみようと思います)。

 

 東北時代、東日本大震災を体験して、「失われてしまった命から、命を守ることの大切さを学ぶこと」「命の大切さを語り継ぐこと」の重みを知り、それをどのようにすれば実践できるかということが、いつも頭の隅にあります。

 

 そんなことを考える年齢になったのか…と思う今日この頃です。