◆戦争を語り継ぐことは難しい
私と同世代の方の「親」は、戦争経験世代と思います。
ただし、実際に戦地に赴いた方は少ないです。神戸生まれの母の戦争体験は、神戸大空襲(火垂るの墓で描かれる空襲)の中で逃げ惑ったこと、その後の疎開体験になります。ただし、そのことを語ることはありませんでした。
ただ、テレビドラマで空襲のシーンがあると(昔なので、かなり生々しくリアリティの高い描写だったのかもしれません)、悲鳴を上げました。今なら、パニック障害とかPTSDに近いと判断されるでしょう。
中学の頃は、先生に出征経験者がいました。陸軍内務班での経験(結構壮絶でした)、中国戦線を列車と徒歩で移動したこと、攻撃を受け反撃もままならず、墓石を盾に弾丸をよけるしかなかったこと…などの話を聞きました。
就職すると、学徒出陣で神宮の行進に参加した上司、シベリア抑留の経験者などがいらっしゃいました。
◆東日本大震災を経験してわかったこと
戦争について議論することは多いですし、「いけないこと」は共通認識だと思います。ただ、経験者が「なぜいけないのか」を語ってくれないのです。そもそも、あまり積極的に話してくれない、主張してくれないんですね。
その理由・心情は、私自身が大きな震災を経験してわかりました。
一つは、話そう・伝えようとしても、その時何があったのか、どんな状況だったのかを言葉にすることが難しいのです。死というものの理不尽さ、それが知っている人の身に降りかかっていること、そして自分自身は生死の境界線の中で「生き残ってしまった」という罪悪感を抱えながら人前で語ることには、かなり大きなエネルギーが必要です。
もう一つは、そうして言語化、伝えること自体について批判的な考えがあることです。震災後、異動で東北から出ました。「震災を経験していますよね」と聞かれることもあります。個人的な体感では「はい」と答えると、4人のうち1人は「震災経験したからって何ですか? 偉そうに」という反応を示します。あまり大きな話題になっていませんが、福島の原発避難地域の子供たちが、転校先でどんな目にあったのかと共通します。
というわけで、異動先でも「防災」は重要なお仕事で会議にも参加しますが、黙っていることが多くなりました。もちろん、「伝わらない」のは私の力不足なのですが、そもそも「聞く気がない人、関係ないという人」の声の方が大きいようです。
◆日本近代史の「40年周期」の法則
①明治になって、約40年後に日露戦争が始まり(日本近代の頂点)、
②日露戦争が終わって、約40年後に太平洋戦争がはじまります。
③太平洋戦争が終わって、約40年後にバブル景気がやってきて(戦後日本の頂点)
④バブル景気から、まもなく約40年になります。
日本は、近代・戦後ともに経済的発展の後、
・資源に困る
・一部の政治家が暴走して軍事に解決を求める×外交を軽視する
・国民の命を軽視する×そのことを批判できない世論を形成する
という状況になります。歴史は繰り返すのですね。
◆日本の降伏・戦争終結は、外交上のルールではいつなのか?
昭和天皇による玉音放送によって、ポツダム宣言の受諾が国民に伝えられました。
個人的な疑問は、ポツダム宣言の受諾・無条件降伏が、他国に正式な手続きとルートととで伝えられたのはいつか?? です。
8月15日は、考え方によっては「国内・国民への通知」に過ぎないものです。
満州国も含めた「本州以外の地域」も「国内」という意識が政府要人にあったのか? 対戦国に伝えるための外交儀礼や手続きを政府は理解していたのか? などの論点を深めていくと、8月15日以降の戦闘で失われた国民の命は、国家の失態が原因と考えることもできます。同じことは、震災も同じ…です。
ちょっと重い話題になりました。
年に1度、そういうことを真剣に考える日もと思います。
沖縄勤務で知った沖縄戦のことも。