松本市「城山公園」から、北アルプス、安曇野・松川村をのぞむ
流れているのは、奈良井川
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◆「いわさきちひろ」さんは、お母さんが松本出身
昭和20年5月24~26日にかけて、東京に空襲がありました。
通称「山の手大空襲」と言われ、東京駅、宮城の一部、渋谷・品川・目黒・杉並などの「住宅街」が焼け野原になりました。小田急線で言うと「梅が丘駅」手前あたりまでが「焼け」ています。
この空襲で、当時暮らしていた東京・中野の家を失った岩崎家は、母の実家である「松本」に疎開します。
◆松本疎開中、城山公園でスケッチをしていたそうです
一家が松本に疎開したのは、沖縄で日本軍が南部に追い詰められていた時期ですね。
6月下旬には沖縄戦が終了し(その後も犠牲は続きますが)、8月に原子爆弾の投下、そして終戦となります。
いわさきちひろさんは、松本で終戦を迎え、ここで戦争の実態を知り、自分の無知を恥じたと言われています(日記「草穂」参照)。
物心共に喪失感が大きかったこの時期、彼女は「城山公園」に足を運び、スケッチをしていたそうです。
◆戦後、両親が安曇野・松川村に開拓農民として移住する
彼女は、城山公園から見た風景、つまり冒頭の写真の視線の先にある松川村に移住します。その場所が、現在の「安曇野ちひろ美術館」になります。
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◆いわさきちひろさんを知ったのは「窓ぎわのトットちゃん」の挿絵
しかし、この挿絵は、本のために描かれたのではないのですね。
出版当時、いわさきちひろさんは、既に亡くなられています。
生前親交があった黒柳徹子さんが、表紙・挿絵として使用されたのです。
いわさきちひろさんご自身は、その画風からはちょっと想像できない、激しい人生を送られています。そこには3姉妹の長女という立場、女性が自立することの困難など、今の時代だからこそもう一度見直したいこと、学びたいことが多くあります。
というわけで、ワクチン接種の副反応もなさそう、雨も降らなそうというわけで、数日ぶりにフラッと散歩に出て、偶然「いわさきちひろ」さんに出会ったのが昨日。
ただ「城山公園」まで歩いて登るのは、結構きつい(笑)
次は、天気の良い日に車で行こうと思う今日この頃です。