特攻隊を題材とした映画の記事が目に入りました。
ヒロインである、現代から太平洋戦争末期にタイムスリップした少女のセリフについてです。
「特攻隊の方々の犠牲があって、今の平和な日本がある」という意味のセリフがあるそうです。
これは、道徳的には全く正しい意見で、私も深く同意し、感謝と祈りとを捧げているつもりです。
ただ、学問的な事実という視点から見ると、「う~む」なんですね。
硫黄島が陥落し、制空権も防衛圏も喪失して空襲が続く状況で、当時の政権・軍部が選択したのは本土決戦(この段階で降伏していれば…)。
本土決戦にも準備が必要です。そのための時間稼ぎが沖縄戦の目的であったと言えるようでしょう。同様に、沖縄戦における特攻も時間稼ぎの戦略に過ぎないわけで、そこに「勝つための戦略」はないんですね。
航空隊には、とても頭の良い人が選ばれます。おそらく、特攻隊員の多くは、これが勝つための戦略ではないことを理解していたと思われます。そういう人材を、時間稼ぎに使った大人たちに対し、個人的に深い怒りをおぼえます。そういう大人たちのせいで、今の日本の課題があるというのは飛躍が過ぎますが、そういう気持ちになります。
で、話は戻りますが、特攻隊員の犠牲と現代日本の平和とのつながりを学問的に立証することは少し難しいです。ただ、道徳的理解と感謝とは忘れてはいけない…と考えています。
日本の人口減少は、1960年代には予想されていました(ちなみに、当時の予想はほぼ当たっています)。
私が社会人になった1989年も、4年後に公務員に転職した時も、「やがてやってくる人口減少」は中長期計画に明示され、それを根拠にさまざま施策が行われていました。変な話ですが、日本の人口減少がまだ一般的な話題になっていない頃の方が、「未来を根拠とした発想・行動」ができました。
やがて、人口減少や少子高齢化などが可視化され、社会課題としての認知が高まってきます。認知度が高まると、未来を根拠とした発想に「ストップ」がかかるのです。
そして、「今までこうだった」という声が大きくなります。過去を根拠とした発想ですね。そして、「過去に敬意を示せ」と迫られます(示しているんですけどね)。
人口減少対策として、移住促進や婚活支援、観光振興や企業誘致などが行われますが、その中には「時間稼ぎ」に過ぎないものも少なくないです(個人の感想です)。その先にあるのは、「子供の数が減る~町の学校がなくなる~住民が町から出る」という循環の始まり。その先にあるのは竹やりを武器とした本土決戦ですね。
人口減少という未来に対し、少しでも早く全面降伏した方が、被害が少なく、若者を犠牲にすることもなく、町の存続性も高まるはずです。しかし、なぜか時間稼ぎに走ります。それが勝つ戦略だと信じているのかもしれません。
私が早期退職を強く意識し始めたのはこの頃。
時間稼ぎに加担することへの罪悪感です。
そして、娘には、「日本以外の地域でも生きていけるようにね」と繰り返すようになりました。私自身はギリギリ逃げ切れる可能性はありますが、娘の世代は直撃します。
その時、選択肢を持てるようにということです。
(つづく…)