55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

高校生の反論を傾聴する(学習支援ボランティア)

 

 昨日は、学習ボランティアの時間。

 今年の生徒さんは、「あなたの意見」を聞きたがります。一応、ファシリテーター的な位置での参加を意識しているので、自分の意見は言いたくない・言わないようにしているのですが、昨日は、ある生徒さんにかなり強く迫られました。

 集まったのは教育系を希望する生徒さんで、テーマは少子化から虐待に進みました。

 そして、先日の埼玉県議会に出なかった「虐待防止条例」に…。

 

 その生徒さんは、私に「賛成か・反対か」をしつこく問うてきました。

 もし、私がその条例の賛否を問う会議に参加していれば、「反対」に投票します。

 その答えを伝えた瞬間、その生徒さん、強い口調で私にいろいろなことを伝えてきました。まず、定番の公務員批判、次に「子供たちの命が危険にさらされているということへの認識が間違っている」「虐待という事実に向き合っていない」と続き、「そういう大人の存在がいるからだ」という主張を展開されました。

 (ネットでつないでの対話です。その場には先生も他の生徒さんもいます)

 なかなかですね。

 で、以下、個人的感想ですが、貧困・虐待・難民などの社会問題に関心を持ち、解決のために学びや行動を起こす生徒さんは、偏差値が高く経済的にも恵まれている生徒さんが多いです。「貧困・虐待・難民」などの社会問題は、世界的な課題でもあって、そういう大きな課題に関心を持つきっかけは、ある意味で、「貧困・虐待・難民」という課題から遠い場所で暮らしている人に多いという逆説。ただ、「高いレベルの教育を受ける経済力、教育の場で得る人脈」を持たないと大きな社会課題は解決でいないという、これまた逆説的な現実もあります。

 お世話になっている高校は、結構な進学校で、その生徒さんも(あとから先生から伺いましたが)そういうパターン。でも、児童虐待に強い関心を持ち、自分なりに勉強し、将来はその解決のために教育(先生ですね)に進むという希望を持っているそうです。

 

 さて、どうしたものか…ですが、こうした「強い反論」は、「前提の理解の共有」で解決を導くようにしています。また、そもそも「賛成・反対という二元論」では解決は導かれないこと、そういう意味で民主主義とか、合意形成の在り方とかも、正しい認識ではなくなりつつあることも。

 少し自分の整理のために、以下、メモを残します。

 「反対」の理由・立場・根拠は、その理念に疑問を感じたからです。前提となる「キーワード」は、「公助・共助・自助です」。

 

 そもそも、子育ては「共助」がないと難しいです。両親・親族、ご近所・地域で困った時に支えあう、「子供は泣くもの、騒ぐもの」という認識が共有されることが大切。さらに、保育園・学童・学校などの「公助」も加わって、子供たちを社会で育てていきます。

 今回の条例は、報道で知る範囲で「間違ったことは言っていない」と感じています。送迎バスでの事故、ちょっと目を離した隙にマンションのベランダから転落するなど、とにかく「子供から目を離す、放置する、確認を怠る」ことで命が失われることはあってはいけません。そして、「ちょっと目を離す、うっかりする」ことを虐待とする考え方・価値観がある国も少なくないです。ここまでは賛成です。

 

 今回の条例は、虐待をなくするための手段として「罰則」を用いています。

 たとえば、子供だけで登校する・留守番をするのは虐待で、それを見た人は「通報せよ」となっています。これは、虐待防止を「ルール×罰則」で実現しようする考えですね。では、罰則は「公助・共助・自助」のどれに該当するかです?

 私は、罰則は、公助ではないと考えます。

 

 自治体・公務員が本来行うべきは、「民間では採算がとれないこと」を、税金を使って支援するだと思っています。公務員は経営センスがない、ノルマがない、税金の無駄遣いばかりだというのはおっしゃるとおりです。そして「民営化」が進みました。

 その結果、いくつかの場所で「ほころび」が出始めています。たとえば、バス路線の廃止ですね。公営交通を廃止して、民間のバス会社に渡しました。民間企業ですから「不採算部門」は切るしかないです。そして、民間が手を引いた時、もうその自治体には公営交通を復活させるだけの財力・体力・人員はありません。

 こうして「バス路線」という公助がなくなりつつあります。そうなると住民は「自助」しかありません。しかし、高齢者の運転については「免許返納させるべきという議論」もあります。公助がなくなれば、自助しかありません。でも、自助を支える自家用車・免許は諦めろという。「そんな場所に住んだのが悪い、自己責任だ」とする考えもありますね。

 

 子育ても「公助」が必要です。とくに「共助」が弱くなっている地域では自治体による支援が必要です。そうしないと、子育てが「自助」のみになってしまうからです。「孤育て」ですね。

 私は、公務員とか議員は「公助」を作る・運営するものだと考えています。

 しかし、あの条例は「主張は正しいですが、結局罰則規定」になっています。つまり、「子育ては自助。それができない人を見つけたら通報してください」という構造になっています。これは「公助」でしょうか。

 現在の政権与党は「資本主義・競争社会・自己責任型の社会」を理想と考えています。これも間違ってはいません。でも、子育てを「自助・自己責任」だけで実現する・虐待をなくすのは可能でしょうか。

 

 今回の条例が「虐待をなくすための公助」であれば賛成でした。

 欧米のドラマや映画を見ると、夫婦が夜パーティーに参加しているシーンがあります。あれが可能なのは、ベビーシッターなどを雇っているからですね。もし、子供たちだけで留守番させて夜のパーティーに参加している夫婦がいれば、虐待・刑事罰になる国もあります。

 では、日本で、ベビーシッターや家政婦さんは普及していますか?

 使えるのは、ある程度の収入がある人になるでしょう。また、社会に「そういう人を使うのは親の怠慢、手抜きという価値観」もあります。頼りたくても抵抗感を持つ人もいます。

 そういう現状を「罰則規定」で改善できるのか…という点で、私は「反対」です。

 

 蛇足ですか、今回のことは「ブラック校則」が作られていった構造・過程によく似ていると感じています。また、「今回の条例における通報義務」は共助の悪用です。戦争中、「あの人が○○と言っていた」と通報され、思想犯として裁かれた人もいます。相互監視社会ですね。

 

 子供たちに対する公助の充実を願っています。

 また、ベビーシッターや家政婦さんを雇えるだけの収入が保証される国になること、そういう産業を広げていくことができるといいですね。 

 

 もう一つ蛇足。

 虐待は、貧困だけがその要因でしょうか? 貧困家庭にしかないものでしょうか?

 最近は、教育虐待という言葉も一般的になってきました。これは、富裕層・高学歴家庭にもありませんか? 

 虐待は、限定された場所と人だけが起こすものではありません。どこにでも、だれにでもあり得ることなのです。そういう視点で、この問題を分析してはいかがでしょう。

 また、この問題の根源である「人権」という概念についても学んでみてはいかがでしょう。表面的な事象を見て、理想・正義感を振り回すと、別な問題が生じることになり、解決から遠ざかることがあります。

 

 というのが、「私の個人的考え×反対の理由」です。

 もちろん、これは「個人の感想」であって、あなたの考えを否定するもの、拘束するものではありません。反対の立場からの問題提起とご理解いただければうれしいです。