週刊誌やビジネス系の雑誌によくあるのは、「東大合格者ランキング(高校)」とか、「大手企業への就職率ランキング(大学)」とか…。確かに、進学の目的に「就職するため」があることは否定できません。いわゆる「よい学校~よい就職~安定した生活」というヤツですね。
社会人となって「高卒」という学歴で苦しんだ方が、「子供は大学に…」という思いを抱くケースは、私の周囲には多かったです。確かに、公務員になってみると、高卒より仕事のできない人(私)でも、大卒だから役職が上ということはありました。
民間時代の私の上司は、後その会社の副社長になりましたが、上司自身は高卒入社。ただ、あまりに仕事ができるので、会社でお金を出して大学に通わせたという伝説の人。これをきっかけに、社員の「有給休職×国内外への留学」という制度ができました。
学習支援ボランティアをしているので、高校生のお話を聞く機会があるのですが…、その高校は結構な進学校なのですが、家庭から大学進学に反対されている、経済的支援はしないと言われているという生徒さんは少なくありません。
そこにあるのは、「高校を卒業したら働け」という価値観。
この価値観に否定的な考えは持っていません、念のため。
ただ、「成績の良い子供が大学に進むと、地元に戻ってこなくなる。だから、勉強なんかしなくていいし、できなくてよい。地元に残って、地元で働くのが正しいのだ」という意見は、「もっと勉強したい、大学に進みたいという高校生の未来」を阻害するのではないか…と感じています。令和になって「祖父母が大学進学に反対する」もないと思うのですが…あるんですね。
そういう生徒さんは、「大学に行かないといけない理由」を作らないといけません。
となると「先生、保育士・幼稚園教諭、医療従事者」に限定されてきます。志望先に「教育大・幼児教育学部・看護学部」などを記入している場合、この可能性が高い。
あるいは、将来の職業希望に「市役所」と記入している場合も。これ「公務員」でないところがミソ。「市役所」なんですね。それだと大学進学の「許可」が出るそうです…。
一方で、お仕事では「都内の中高一貫私立学校」を担当しています。
こちらは大学に進むことが前提という価値観。
探究学習のテーマには、「世界の貧困の解消」「過疎地に医療を届けるには」「環境問題への取り組み」など、社会課題を取り上げたものが多いです。また、「哲学・芸術
・建築」「数学・化学・物理」など学問上の課題に取り組むものも多いです。
「学問の自由」が保証されているんですね。
「大学に行く許可を得る必要」はありませんから…。
でもですね、たとえば「人口減少×過疎化」が進む市町村の役場に、「親を説得するために、就職でつぶしがきく法律・経済・経営系の学部を選んだ人」「安定しているから公務員になったという人」ばかりが集まったら、どうなるんでしょうね。
「大学で建築や街づくりを専攻した人」もいた方がよいと思うのです。でも、「大学で街づくりを勉強したい」では、大学進学の許可を得られない…という高校生もいるんです。
このような話は、身近な人にしにくいようで、外部の支援員である私に話してくれる高校生さんがいます。でも、つっこんだアドバイスをすることは立場上できません。
難しいですね。
今後も、学問の自由、若者の未来を守ることを意識してお仕事に取り組もうと、改めて思い直した週末でした。はい。