というわけで、現在深夜3時です。
昨日、夕方6頃、少し疲れて横になったら本格的に寝てしまい、目覚めたら深夜2時。寝ようと思ったのですが、空腹を感じて眠れず。
あきらめてコーヒーを淹れ、ストックしていたチョコを齧って目を覚まし、これからお仕事します。
少し前からなのですが、日曜日から月曜日にかけて「睡眠サイクルが狂う」ことが多いです。理由はわかりません…。こういうことは「狂う」と考えず、「日~月はいつもと違う感じになる」と割り切った方がよさげですね。
こういう時、コロナ前であれば、24時間営業の「マック」「ガスト」に移動してということもできたのですが、深夜営業している飲食店減りましたね。
松本市で検索すると、牛丼店とか、磯丸水産とかになります。
私が高校生の頃まで、終電の時間になると、テレビも終わっていました。
ただ、その頃から都内に「コンビニ」、東京郊外に「ファミレス」ができ始め、「24時間という営業形態」が始まりました。大学の同期には、「マクドナルドの深夜清掃」のアルバイトが結構いました。私も「コンビニの深夜番」をしましたが、深夜の時給は1,200円くらいで結構よかったです(というか、今と変わらないですね…)。
人々の暮らしも今と違いましたから、深夜番は楽でした。そもそもお客さん来ません。来ても常連さんばかり、主にタクシー運転手さんが多かったです。で、私はレジでレポートを書いていました。
バイトのない日は、ファミレスでレポート書き。
今では当たり前の、「コーヒーお替り自由」というのが画期的でした。当時は店員さんがコーヒーをもって店内を巡回し、「おかわりいかがですか」と声をかけていました。店内は喫煙自由で、そんな風景が関川夏央のエッセイに描写されています。
就職して車を持つと、週末の深夜はドライブになりました。定番は「山下公園(横浜)」「鎌倉(お化けトンネル)」「江の島(フォルクス)」。
昭和の終わり頃、東京で車を手に入れた若者は、まず「横浜」「湘南」に行くんですね。昼間から動けるときは「伊豆半島」。
う~~ん。書きながらつくづく思うのですが、ダサいですね。
でも、当時はこれが「おしゃれ」「かっこいい」だったのです。
こうしてみると、「車で遠出」「ファミレスで仕事」という生活スタイルは、「昭和50年代後半×24時間営業」を反映したもののようです。しかも当時、平日は「始発で通勤×終電で帰宅」、週末は「海にドライブ」というわけで、きわめて「在宅時間が短い」暮らしだったようです。
考えてみれば「昭和・平成・令和」を生きているわけですが、これは「明治・大正・昭和」を生きたと同じ構文。それ、私の祖父…。
今日書いた内容は、「明治時代の話」と同じなんですね。
ま、でも、時々、私の精神衛生を保つために、こんな話にお付き合いいただけるとありがたいです。
というわけで、今日もお読みいただきありがとうございました。