55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

昭和の終わり頃を思い出す…

 

 というわけで、現在深夜3時です。

 昨日、夕方6頃、少し疲れて横になったら本格的に寝てしまい、目覚めたら深夜2時。寝ようと思ったのですが、空腹を感じて眠れず。

 あきらめてコーヒーを淹れ、ストックしていたチョコを齧って目を覚まし、これからお仕事します。

 少し前からなのですが、日曜日から月曜日にかけて「睡眠サイクルが狂う」ことが多いです。理由はわかりません…。こういうことは「狂う」と考えず、「日~月はいつもと違う感じになる」と割り切った方がよさげですね。

 

 こういう時、コロナ前であれば、24時間営業の「マック」「ガスト」に移動してということもできたのですが、深夜営業している飲食店減りましたね。

 松本市で検索すると、牛丼店とか、磯丸水産とかになります。

 

 私が高校生の頃まで、終電の時間になると、テレビも終わっていました。

 ただ、その頃から都内に「コンビニ」、東京郊外に「ファミレス」ができ始め、「24時間という営業形態」が始まりました。大学の同期には、「マクドナルドの深夜清掃」のアルバイトが結構いました。私も「コンビニの深夜番」をしましたが、深夜の時給は1,200円くらいで結構よかったです(というか、今と変わらないですね…)。

 人々の暮らしも今と違いましたから、深夜番は楽でした。そもそもお客さん来ません。来ても常連さんばかり、主にタクシー運転手さんが多かったです。で、私はレジでレポートを書いていました。

 バイトのない日は、ファミレスでレポート書き。

 今では当たり前の、「コーヒーお替り自由」というのが画期的でした。当時は店員さんがコーヒーをもって店内を巡回し、「おかわりいかがですか」と声をかけていました。店内は喫煙自由で、そんな風景が関川夏央のエッセイに描写されています。

 

 就職して車を持つと、週末の深夜はドライブになりました。定番は「山下公園(横浜)」「鎌倉(お化けトンネル)」「江の島(フォルクス)」。

 昭和の終わり頃、東京で車を手に入れた若者は、まず「横浜」「湘南」に行くんですね。昼間から動けるときは「伊豆半島」。

 う~~ん。書きながらつくづく思うのですが、ダサいですね。

 でも、当時はこれが「おしゃれ」「かっこいい」だったのです。

 

 こうしてみると、「車で遠出」「ファミレスで仕事」という生活スタイルは、「昭和50年代後半×24時間営業」を反映したもののようです。しかも当時、平日は「始発で通勤×終電で帰宅」、週末は「海にドライブ」というわけで、きわめて「在宅時間が短い」暮らしだったようです。

 

 考えてみれば「昭和・平成・令和」を生きているわけですが、これは「明治・大正・昭和」を生きたと同じ構文。それ、私の祖父…。

 今日書いた内容は、「明治時代の話」と同じなんですね。

 ま、でも、時々、私の精神衛生を保つために、こんな話にお付き合いいただけるとありがたいです。

 

 というわけで、今日もお読みいただきありがとうございました。