アマチュアは、一戦必勝のトーナメント。
これは、インターハイも、高校野球も、オリンピックも同じ。
音楽のコンクール、受験や就職試験も同じです。
◆敗者に掛ける言葉
大きな喪失感を抱えた人に、掛ける言葉は難しいです。
昔なら、大きな失敗をした部下には、まず叱責、その後飲みにつれ出してフォローという手段がありましたが、今は難しい。
災害で家族を失う、コロナで大会が中止になる、5年間かけて準備したオリンピックで負ける…そんな時、どんな視点から、どんな言葉を紡ぎ出したらよいのでしょうか。
◆敗戦や喪失の哀しみを受け容れるために、誰かのせいにする必要がある時もある
ネット上にあふれる攻撃性の高い言葉の多くは、こういうもの。
先生、医師などが攻撃対象になりやすいのは、現場に合否・勝敗・生死、さらには貧富などの社会課題が、現場に多いからでしょう。そして、結果が思い通りにならなかった時、誰かのせいにしなければ、その現実を受け容れることができないから…という人間心理があります。
そういう場合、黙って頭を下げ、言葉を浴びます。(ただし、裁判では不利な証拠になることもありますが…)
◆これからの日本語に必要なこと
NVC(Non Violence Communication)が少し広まってきましたね。
いずれ、今の日本語は、攻撃的な語彙・フレーズが優先的です。
プロスポーツ選手、タレント、政治家などは「危機管理」の一つとして、「インタビュー言語」のトレーニングを受けます。英語圏の選手が「チーム、家族、ファンのみなさんに感謝したい」というヤツですね。
相手に対する感謝や敬意を表現する文化は日本にもあるのですが、どこかで「以心伝心」みたいなところがあり、あまり言葉にすることを好みません。バブル時代の恋愛ドラマでは、女性が「私が好きなら言葉で伝えて、形にして見せて」と叫び、主人公の不器用な男性が困惑するシーンがよく出てきます。
この不器用な男性が、ある意味で日本文化のシンボル。この会話がリアルだと「うるせえ!」という返答でケンカになります(笑)。
◆日本の大人に必要なこと
感謝や敬意を伝えることって、どこかで恥ずかしいのです。
褒められた時の対応や、勝った時の表現の言葉も同様。強めの上下関係の中で、厳しさの中に愛があるという教育を受けてきた世代は、感謝や敬意を素直に表現する言葉を知りません。知っていても、できません。この「ゆがんだ認知」が、敗者への強い攻撃になります。
俗にいう「アンチ」ですね。否定でしか愛を表現できない人たちです。
素直に、感謝や敬意を言葉にしてもいいのはないでしょうか。
人より優れた能力を持つ、あるいは人より努力を重ねたことで、嫉妬や憎しみを浴びる世の中になるのはつらいですね。
そうならないために、「美しい日本語」がもっと必要だと思う今日この頃。
オリンピック後の日本はどうなるのでしょうか??